東京ジンギス倶楽部とは

 ジンギスカン不毛の地であった東京に「ジンギスカンブーム」が吹き荒れたのは2005年です。中目黒にオシャレなジンギスカン店が次々現れて話題となり、折からのBSEや鳥インフルエンザの追い風もあって一気にお店が増えました。スーパーにも店によっては羊肉が少ないながらも普通に並んでいます。かつてのように、「食べたくてもお店がない」「スーパーにも売っていない」という状況はかなり改善されたと言えます。

 でも、「ジンギスカンはおいしい! 羊肉はおいしい!」という認識が一般に定着したと言えるのでしょうか。ブームが終わってしまえば一部のお店をのぞいてお客さんが減り、閉店が相次ぎました。ブームの絶頂期は多すぎたとはいえ、これ以上ジンギスカン店が減ることなく、これまでより一人でも多くの人にジンギスカン、羊肉のおいしさに目覚めてもらうこと、それが東京ジンギス倶楽部の目標です。



東京ジンギス倶楽部 会員紹介

会長像会長 会員番号1番 jingis(野村昌彦)    
 長野県岡谷生まれ、50うん歳。エディトリアルデザイナー。自他共に認めるグルメ。うまいものを食べること、グルメ番組を見ること、テレビゲームが大好きだが、それ以上に熱狂的なサッカー好きで、フランスWカップも観戦に行ったほど。日韓大会では日本戦全戦を含んで11試合もの観戦を敢行し、妻にも呆れられる。キャンプなどで食すうち、ジンギスカンの怪しいかほりにとりつかれる。         

総裁像総裁 会員番号2番 lamuo男爵(高橋オサム)
 栃木県日光生まれ、40代。フリーランスのプロカメラマンだったが今は職業不詳。仕事でグアムに行ったのを機に南の島にとりつかれ、沖縄をはじめ無人島キャンプに情熱を燃やす。会長と同じくサッカー好きで、フランスWカップも一緒に観戦しに行った。だが、HPを公開して2002年「最近食べ過ぎだ」との言葉を残し幽霊会員化のち脱会。

最高顧問像代表 会員番号3番 F_SIMM(霜野史明) 
 北海道札幌生まれ、40代。都内で編集プロダクション経営。生まれ育った北海道でのジンギス環境が忘れられず、たまたまジンギスカンに肯定的な友人二人と東京ジンギス倶楽部を設立。キャンプなどで細々とジンギスカンを食していたが、まわりの偏見にも嫌気がさし、東京でうまいジンギスを食すため立ち上がった。2005年秋、折からのブームに乗る形で理想のジンギスカン店「ひつじぐら」を市ヶ谷にオープンさせるも所詮飲食の素人ゆえブームの終焉とともに運営に行き詰まり、閉店という悲しい経験を持つ。


各会員が語る、ジンギス賛歌
(東京ジンギス倶楽部設立に至るまで)

代表が語るジンギスへの思い

●札幌では必須メニュー

 私、北海道は札幌の生まれで、高校卒業までいましたが、月に1回はジンギスカンを食べていたでしょうか。花見に夏祭り、夏の海やお盆に秋の祭り、なにか理由があると親戚一同集まって庭で七輪を囲んだものです。冬のさなかにガレージの中でやったこともあります。スーパーへ行くと豚や鶏より安く、確か100g 38円くらいだった記憶がありますが、丸くロールした羊肉をスライスしてもらって買ってきたのを思い出します。

 行事の時に皆が集まってやっていただけでなく、ふだんの時もフライパンで焼いた肉が食卓に乗りました。また、市内にはジンギスカン専門店が多く、松尾ジンギスカンや義経ジンギスカンなどのチェーン店もそこかしこにあって、友人とそういったお店でジンギスカンをつつくということも少なくありませんでした。つまりジンギスカンはあの頃の私にとって常食であり必須メニューだったのです。北海道で暮らす人にとっては、今もそれは変わらないでしょう。

●ジンギス不毛の地、東京
 ところが上京してきて愕然としました。スーパーにはラムもマトンもベルのたれもない、ジンギスカンを食べさせる店なんてまず見かけない。ほかの地方から上京してきた人たちはジンギスカンという料理を知っている方が少ないくらいでした。な〜んだ、ジンギスカンが日頃のメニューだというのは北海道だけだったのかぁ、とこの時はじめて知ったというわけです。

新宿の食べ放題店にて そんな時、新宿にジンギスカン食べ放題ビール飲み放題1980円という店ができて飛びつきました。その店は食べ放題ですから質の悪くて薄いマトン。でも、私にとってはなつかしいあの「かほり」がするだけでうれしかったので、しょっちゅう出かけました。友人知人を誘って。学生時代でしたから100人規模の大コンパをしたことすらあります。これで友人知人もジンギス好きになってくれたと思ったのはもちろん早計で、その店が新たなる「ジンギス嫌い」を作ってしまったことに気づいたのはずいぶん後になってからのことでした。その店の粗悪なマトンが特に女性陣に毛嫌いされ、「ジンギスの鍋で焼いたものは野菜でも食べたくない」とまで言われはじめたのです。その人たちは今も確固たる羊肉嫌いで、ジンギスカンと聞くと眉にしわを寄せる始末です。当のその店もそのうち牛の陶板焼きだとかしゃぶしゃぶなどにシフトしてしまい、行くこともなくなってしまったのですが、かといって行動範囲のなかではほかに店も見かけなく、ながくジンギスカン不遇の時代を過ごしてきました。

●「成吉思荘」との出会い
 そんな折り、一筋の光明が見えたのは1992年くらいのことでしょうか。学生時代の友人の一人である野村jingis氏が「ウチの近くにおいしいジンギスカンのお店があるから今度一緒に行こうよ」と言うのです。連れて行かれたそこは高円寺の「成吉思荘」。新宿の食べ放題店はもとより地元のジンギス専門店とも違う品のいいお店で、ジンギス屋というよりもステーキハウスに近い雰囲気。そして店内の壁に掛かった説明によるとジンギスカン専門店の元祖であり、北海道のジンギスカンよりも歴史が古いというのです。ジンギスカン発祥の地のようなことが書かれていたので私はちょっとムッとしたりもしたんですが、所詮ジンギスカンの歴史などその時は知りません。出されたジンギスカンもずいぶんと上品で面食らいました。そして味もいい意味で違う。つまり臭みがない、あの羊の匂いがあまりしないジンギスカンだったのです。これだったらジンギスに好印象を持っていない人も認識を改めてくれるのではと思ったものですが、惜しくも1996年頃には閉店してしまいました。

 そんな一件もあって、野村jingis氏がどうやらジンギスカンに理解があるらしいと分かりました。彼は長野生まれでジンギスカンとは無縁で育ってきた人間です。そんな彼がジンギスカンに好意的なのでうれしくなってしまいました。なんだ、北海道育ちでなくても、好きな人はいるんじゃないか、と。

●次々と同志が参集!
 その後はキャンプなどの折りにラム肉を持参して焼いて楽しむ程度の状況が続いたのですが、周りの目は相変わらず冷たいままでした。仕方なく、牛肉も併せて買い、それを焼いたあとに私と野村jingis氏だけが人目を盗んでラムを焼いて食べる、みたいな状態でジンギスを辛くも楽しんできたわけです。その中でやけにジンギス肉をおいしそうにほおばる男がいました。高橋lamuoでした。彼も栃木出身で、ゆばを食って育ったくちです。しかしジンギスカンのうまさにピピンと来たわけです。ジンギス好きが3人集まって、出てきたフレーズが「東京ジンギス倶楽部」でした。東京に住みながら、うまいジンギスカンを大いに食べてやろうじゃないかと。

●東京ジンギス倶楽部、ジンギスカン啓蒙大作戦!
 確かに一般の人にとってジンギスカンは「臭い焼き肉」に過ぎないのかも知れません。食べた後は服が臭くなっている食べ物かも知れません。でも、そこには誤解や偏見もあるんじゃないでしょうか。おいしいジンギスカンを味わえば、その評価も変わるのではと思います。おいしいジンギスカンを食べさせてくれる専門店を確保し、また、上質の羊肉を通販で手に入れてジンギスカンを供すれば、よほどの肉嫌いでない限り「なんだ、けっこういけるじゃない」となるのではないでしょうか。そうやって、まわりの「ジンギス嫌い」を一人づつつぶしていこう、と思っています。ジンギス好きを一人でも増やすこと。それが、東京ジンギス倶楽部の目標です。



会長が語る、東京ジンギス倶楽部の歩み

●ジンギスとの出会い
 まず初めに言っておくと、僕は鳥肉以外の肉が大好きです。
 それは羊肉はいうに及ばず、豚も牛も、ときには鹿やイノシシも美味しくいただきます。伊豆で毎年行われる忘年会では、スーパーで売っていたイルカの肉にもチャレンジしました。が、さすがにこれは二度と食べようとは思いませんでした。
 そんな僕がなぜ、ジンギス好きになり、東京ジンギス倶楽部の会長までやっているのか……。それは話を20年ほど前の学生時代にまでさかのぼらなければなりません。

 デザイン学校に入学し、いつも教室の前の方で授業を聞いていたまじめな僕は、同じく前の方で授業を受けるおやじ臭い男と友達になりました。それが最高顧問のF_SIMM君でした。当時18歳にして30の雰囲気を漂わせていた彼はなかなかリーダーシップのある男で、クラスの飲み会や他クラスとの合同100人コンパなどの幹事を率先して行う、頼もしい男でした。そんな彼がいつも飲み会に使う会場が、新宿は歌舞伎町にあるジンギスカン食べ放題・お酒飲み放題の店でした。F_SIMM君は食べ飲み放題で1980円といっていますが、当時は確か1380円だったと思います。それまで、ジンギスカンといえばスーパーなどで売っている丸大のジンギスカンなどの味付けジンギスしか知らなかった僕は、この値段でお肉が食べ放題……にいたく感激しました。

会長、20年前の姿(後列中央) 学生のことゆえお金もあまりなく、大好きな肉をあまり食べられなかった僕は、飲み放題の気の抜けたビールよりも肉、肉……と肉を求め、野菜と肉をセットでお代わりしなければいけないシステムの裏をかき、野菜は真っ黒に焦がしてコンロの下に落とし、肉だけを腹いっぱい食べるという技まで開発してジンギスカンを食べまくりました。
 その時に気がついたのですが、女性はどうも肉よりも野菜ばかり食べている……。そうか! ダイエットか!!
 次の飲み会からなるべく女性の多いテーブルを狙ったのはいうまでもありません。しかし、今思えばあれは羊の肉が臭くて、それを嫌っての行動だったのでしょう。それ以後、当時一緒に飲みに行っていた女性陣のほとんどがジンギス嫌いになっていました。

 その後、社会人になってもいつも一緒に遊び歩いていた我々は、海や山、そして毎年恒例となっていた8時間耐久のオートバイレース観戦など、旅行は必ず金のかからないキャンプでした。キャンプで一番簡単でボリュームのある料理は焼き肉。食料の買い出しは肉好きの・好い男と評判の僕、酒の買い出しがF_SIMM君と役割が決まっていました。少ない予算で大量に(いつも一緒に遊んでいたのが12〜3人位)焼き肉の用意をするのに、『肉のはなまさ』は強い味方でした。牛肉もスーパーよりはかなり安いのですが、それ以上に安かったのが丸く成形された冷凍マトンです。100g 50円位だったでしょうか。肉を大量に食べたい僕は、当然牛肉などと一緒に冷凍マトンも同量買って持っていきました。
 最初の頃のキャンプは牛肉もジンギスも同じように無くなっていたのですが、そのうちにだんだんジンギスが余るようになる。さらにもっと牛肉の量を増やせなどという声も出始め、気がついたらジンギスを最後まで食べているのは僕とF_SIMM君だけということになってきました。
 富士登山にまであの重いジンギス鍋とサッポロジャイアンツの大瓶をかついで登り、一緒に登った友人が高山病になってしまったので二人分の荷物をかついで下山したというジンギス好きの逸話の持ち主のF_SIMM君の落胆ぶりといったら、見ていても哀れを誘うものでした。その中で最後まで美味そうに食べてくれていたのが総裁のlamuo男爵でした。彼は、どんな食べ物も美味しそうに食べられるという特技があるのですが、ジンギスはなかでも美味しそうに食べていました。

 成形の冷凍ジンギスは確かに癖があるけど、不思議なもので、しばらく食べないと無性に食べたくなる魔力のようなものがあります。その後、しばらくキャンプなどが無いとアパートに友人たちを呼んで、ジンギスパーティを開いたりもしていました。
 味付けジンギスを手に入れて我が家でジンギスパーティを開いたときには、部屋の中が猛烈に臭くなり、夜中にその匂いで目が覚めたなどということもありました。しかし、我が家に集まる友人たちはただパーティが楽しくて来るだけで、「おれ、本当はジンギスカンは嫌いなんだ」などというヤツも出てくる始末。みんなに喜んでもらおうとアパートが臭くなるのもいとわずにジンギスをしていた自分はナンだったのだろう……と涙にくれたこともありました。

●成吉思荘との出会い
 そんなジンギスカンを愛するようになっていた僕が、いつも気になっていた看板が青梅街道沿いの東高円寺の駅のそばにありました。その看板にはこう書いてありました。
「成吉思汗発祥の店・成吉思荘」
 F_SIMM君がいつも言っているようにジンギスカンは北海道が原点のはずなのにおかしいなぁ……と不思議に思っていた僕は、ある日意を決して一人でその店に向かいました。店はいつも行っていた食べ放題の店とは違って、高級レストランのようです。値段を見るとジンギスカンが一人前2000円近くもします。しかもロースだのフィレだの、まるでステーキ屋さんみたいなメニューが並んでいる。来ているお客さんもみんなお金持ちそうに見えてきました。店内には確かにここがジンギスカンの発祥の店であると書いてあります。
 出てきた肉は成形されたものではなく、焼き肉のように一枚一枚普通の肉をカットしたものです。眼を白黒させながら食べてみると、これが美味い!
 安いマトンに慣れていた僕には、とてもこれが羊の肉とは思えませんでした。焼ける匂いはわずかに羊の匂いがするけれど、食べると全然別の肉です。かなり上品で美味い肉。これはぜひジンギス好きのF_SIMM君にも紹介しなければ……。

 そこで、F_SIMM君の誕生日に彼の奥さんも一緒に招待しました。彼も衝撃を受けたようで(ジンギスカン発祥は北海道という説は曲げませんでしたが)その後何回かこの店を利用したようです。
 あとで調べてわかったのですが、本当にこの店はジンギスカン専門店のルーツといえる店だったのですが、当時はそんなことは露知らず利用していたのも、ジンギスカンとの不思議な縁を感じます。

●人生を変えた成吉思汗との出会い
 ジンギスカンを本当に美味い食べ物として認識したのは、わすれもしないF_SIMM君やlamuo男爵らと北海道へスキーに行ったときのことです。今は北海道支部顧問になっているジジが、「美味いジンギスカンを食わせる」といって案内してくれたのがすすきのにある【ひつじや】というジンギスカン専門店でした。

 店構えは汚く、店先には大きな赤い提灯がぶら下がっており、そこにはなぜか「パプア・ニューギニアの羊」と大きく書いてありました。不思議な店だと思いながら入ってみると店内もお世辞にもきれいとはいえなく、頑固そうなおやじが一人で切り盛りしている店です。注文するとテーブルに七輪がどんと置かれました。今でこそ東京でも珍しくないのですが、その当時七輪をテーブルに置いて肉を焼くというようなことは初めてだったので驚いたのですが、出てきた肉も丸い成形肉ではなく、普通のスライスした肉です。食べてみると今まで食べたジンギスが別のもののように美味い! 成吉思荘で生ラムは食べていたものの、あれは店構えともに上品すぎてとてもジンギスカンというイメージでは食べていなかったので、安くて美味いジンギスカンとして食べたのはこれが初めて。
 かなりの衝撃を覚えました。そこからです。この味をもっと追求したい。東京でもこんな美味しいジンギスカンが食べてみたい、と思ったのは……。

●『東京ジンギス倶楽部』誕生
 しかし、キャンプでのジンギスカンの比率はどんどん狭められていきました。F_SIMM君と虐げられた者同士、あるキャンプでジンギスをつつきながら「こうなったら『東京ジンギス倶楽部』を作って二人だけで楽しもうよ……」と言うと、彼も寂しそうに「そうだよなぁ……」とうなずいていました。
 その時、後ろから「おれもジンギス、好きだよ」という声が……。
 振り向くとそこには総裁lamuo男爵がジンタレの入ったカップを持って立っていました。

 こうして『東京ジンギス倶楽部』が発足し、あそこに美味いジンギスカンの店があると聞けば3人で行って食べ、こっちに羊肉を売っている店があると聞けば駆けつけてキャンプで3人でこっそり食べる……という倶楽部活動が続きました。

●『東京ジンギス倶楽部』の危機
 しかし、順調にこの倶楽部が続いてきたわけではありません。3人の中には波風が立った時期もありました。
 ある夏のキャンプでのことです。このとき僕はそのキャンプに参加できなかったのですが、北海道のF_SIMM君の友人が送ってくれた冷凍ジンギス肉1.5キロを持っていったのはいいが、あろうことかその肉を半分以上残して捨ててきたというのです。
 その話を聞いて僕は怒りに震えました。参加人数が少なかったという事情もわかる。ほとんど二人で食べたというのも理解できる。しかし、そんな状況は予想できたのに、なぜ半分は次回に残しておかなかったのか。冷凍ならば十分に日もちがしたはずだ。そんなジンギスをないがしろにするような輩とは一緒に行動は共にできない。こうなったら会長自らこの会を脱会する!  と宣言し、その場で『東京ジンギス愛好会』を設立し、一人でジンギスを楽しむようになりました。

 そのうちになぜか総裁lamuo男爵も「おれ、愛好会に入ってもいいや」などと言い始め、ついに『東京ジンギス愛好会』が本流になるか……と思われたときに、F_SIMM君が「またみんなで『東京ジンギス倶楽部』をやろうよ」と寂しそうに言ってきました。確かにこの3人が揃っていないジンギスは今一つ本当のの美味しさが無いと感じていた僕とlamuo男爵は「やりますか」「そうしますか」と、3人で再び『東京ジンギス倶楽部』を再結成し、以前は役職は会長だけが決まっていたのですが、今度はF_SIMM君が最高顧問、lamuo男爵が紆余曲折のはてに総裁に決まり、このホームページを立ち上げるまでになりました。

●そして、これから
 一人で、あるいは数人で美味しいジンギスカンや羊の肉を探しても、自ずと限界があります。このHPをきっかけに一人でも多くの人がジンギスカンの美味しさに目覚め、また、あそこが美味い、ここが良い……などの情報が寄せられれば、これに過ぐる幸せはありません。どうかここを訪れた皆さん、このHPを大いに活用して、本当に美味しいジンギスカンを一緒に追求して行こうではありませんか。


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