ジンギスカンという料理をご存じでしょうか。北海道に行ったことがある人なら食べたことがあるかも知れませんね。ビール園などで出される、羊の肉を焼いて食べる料理です。
ここでは、ジンギスカンのルーツや成り立ちについて調べてみました。ジンギスカンにまつわるいい話も紹介していきたいと思います。
●ジンギスカンはもともとどこの料理?
もともと羊は世界で広く食べられている食肉で、意外かも知れませんが牛や豚よりもたくさんの人に食べられているのです。イスラム教やヒンズー教など、世界の宗教では牛や豚を食べることを禁じたものが少なくないのですが、羊はどの宗教でも食べることを禁じられていません。そんなわけで、羊は古くから中国〜中東にかけての広い地域で飼育され、食用とされてきました。トルコやアフガンなどは羊を使った料理が有名ですし、フランス料理でも羊肉は高級な食材のひとつです。
しかしながら、ジンギスカンという料理名は世界中どこにも見あたりません。そもそもは中国料理「コウヤンロウ(鍋羊肉)」がジンギスカンのルーツであろうともいわれています。それをベースに日本人が食べやすいような工夫をし、さらに分かりやすいネーミングを施して今のジンギスカン料理が出来上がったのではないでしょうか。
●日本ではいつから食べるようになったの?
羊自体が日本で食べられ始めたのは大正時代のようです。大正時代に満州に進出していった日本人が、現地の人たちが羊を焼いたり煮たりして食べるのを見て、それを日本に持ち帰ってきたのでしょう。昭和に入り、農林省が国産奨励として全国的に羊肉料理講習会と羊肉の廉売を開催しています。これは、軍服用などに広く綿羊の飼育が奨励されたもので、飼育の結果発生する老いた羊の肉を食料として活用しようという政策だったのでしょう。日本におけるジンギスカン料理の誕生はおそらくこの頃ではないかと思われます。意外とジンギスカンの歴史は浅かったことになりますね。
●なぜ北海道で広まったの?
北海道では昭和7年に北海道庁種羊場が発足し、緬羊の普及事業とともに農村への羊肉利用方法の浸透のためにジンギスカン料理が一役買ったようです。北海道に関していえば、羊肉が手に入りやすかったことと、タマネギをはじめとして北海道の野菜が食べ合わせに手頃だったことなどで広まり、定着していったのではないでしょうか。
また、北海道緬羊史には興味深い史実が記されています。昭和11年にジンギスカン鍋料理の試食会が札幌市の狸小路6丁目にあった焼き鳥とおでんの店「横綱」で行われたそうです。肉と鍋は種羊場から持参し、費用は道庁持ちで行われたようです。しかし、羊肉やニンニクの臭いに閉口したというのが、本当の様子だったようです。それでも、この「横綱」は工夫しながら昭和18年まで営業したとあります。戦時中は休んだものの、戦後の昭和26年から娘さんが引き続き開店したそうです。その後、昭和44年まで続けたとのこと、北海道在住の方の中にはこのお店をご存じの方もいらっしゃるのではないでしょうか。
●北海道以外のジンギスカン
北海道と同じような経緯をたどってジンギスカンが食べられるようになった地域も全国に少なからずあります。長野県の信州新町でも昭和初期に緬羊の飼育と共に料理講習会が開かれ、当地でジンギスカン料理が広まりました。現在もジンギスカンは町おこしのモチーフにもなっており、多数のジンギスカン店が街道沿いに並んで地元産の羊肉を出しています。岩手県遠野市ではやはり同じ頃に羊毛を取るために養羊が盛んになり、今も普通に食べられています。ある調査では北海道道民一人あたりの羊肉消費量が2.4kgのところ、遠野市では2.1kgといいますから、かなりの羊肉好きといえます。ここのジンギスカンは金属のバケツに固形燃料をセットし、その上にジンギスカンナベを乗せるというスタイルがポピュラー。新聞紙の二つ折りの部分に穴を開けてエプロン代わりに使うのもここでの流儀のようです。
千葉県成田市も羊肉が根付いている地域です。ここにはかつて天皇家の食材をまかなう広大な御用牧場が存在し、そこでは羊も大量に飼われていたといいますからその名残ではないでしょうか。あと、四国は高知市もジンギスカンの香りが微かに残った地域です。終戦後の物不足のおり、当時あった県めん羊協会が普及に務めた結果一般的になり、いくつかのジンギスカン店が出来たといいます。しかし高知人の「熱しやすくさめやすい」気質からか慣れ親しんだクジラ料理などに戻ってしまい、今では市内に1店舗が営業するのみだということです。
当時めん羊協会は各地方に点在していたようなので、ここで紹介した以外にも羊肉がポピュラーだった地域もけっこうあるのではと推測されます。「ウチの地方も昔から食べていた!」という方がいれば情報をお寄せください。
●ジンギスカン専門店の元祖は?
しかしジンギスカン専門店として最古のルーツを誇るのは、実は北海道ではなく、東京でした。大正時代からの農林省の指定羊肉商であった松井氏が昭和10年に「成吉思荘」という店舗を設けたのがはじめのようです。この店は数年前まで東高円寺にありましたが、現在は残念ながら閉店してしてしまい残っていません。もっとも、一般大衆に普及したのは昭和20年代の後半からで、北海道でもこの頃からジンギスカン料理が一般的になってきたのでしょう。
昭和30年代に入り「ジンギスカン」がブームになり、全国でも百万頭以上の緬羊がいたという記録があります。しかし、豚肉、牛肉の普及によりその数は下降線をたどり、昭和50年代を機に特用家畜扱いになるまでに激減しました。今はわずかに復調傾向にあるものの、消費羊肉の殆どはニュージーランド、オーストラリアからの輸入ものです。北海道内のジンギスカン専門店さえ輸入羊肉を使うケースが多いのは、そちらの方がリーズナブルだからでしょう。
●義経伝説とジンギスカン
朝廷から追われた源義経が奥州から北海道へ逃げ、さらに中国大陸に渡って蒙古の武将チンギス・ハーンになったとする説はいろいろなところで論じられています。その真偽のほどは分かりませんが、そのチンギス・ハーンが食した料理が「ジンギスカン」であるとする説もジンギスカン登場の当初から語られていたようです。昭和14年当時の緬羊関係の資料にも「蒙古の一大英雄成吉思汗が松樹の薪火にあたり、羊の肉を焼いてこれを食した」とあります。この記載の中では炭火の中に青松葉を時折入れよとありますが、これは松の香りで臭い消しの意味があったのでしょうか。ともかく、ジンギスカン=チンギス・ハーン=義経の図式は今に残り、北海道では義経ジンギスカンなどのチェーン店の名や、成吉思汗料理という漢字名などにあらわれています。
●味付けと後付けの二つの食べ方
ジンギスカンのスタイルとして、味のついていない羊肉を焼いてタレにつけて食べる方式と、あらかじめタレにつけ込んだ羊肉を焼く方式とがあります。同じ北海道内でも地域による差異がはっきりとしていて、札幌から道南方面は後付け、札幌以北および東は味付けジンギスカンが主流です。生まれた年代にもよりますが、札幌や函館出身の人は「ジンギスカンは丸いロール肉にベルのたれ!」がスタンダードである一方、旭川などの出身者は「味付けじゃないとジンギスカンじゃない!」という人が多いようです。
調べてみると、北海道では月寒と滝川の種羊場が綿羊の養殖および調理の仕方を指導していたのですが、月寒種羊場では焼いた肉ををタレにつけて食す方式を指導、一方滝川種羊場では羊肉の臭みを消すためもあってか羊肉をリンゴ汁やしょうゆ、ショウガの絞り汁などを混ぜたタレにつけ込んでから焼く方式を指導していたようです。その結果、月寒・札幌を含む道南地区は後付けジンギスカン、滝川を含む道東・道北地区は味付けジンギスカンが一般的となって広まっていったのではないでしょうか。また、調査の結果、釧路方面は後付け圏であることが判明しています。どうも飛び地的に道最東部は後付け派が主流になったようです。同じ道東でも網走方面はどうだったかなど、これからの調査によりますが興味深いところです。
地図を見ると味付け文化圏の方が広く分布しているのが分かりますが、札幌のビール園をはじめとする観光スポットでは後付けが一般的なこともあって、道外での認知度としては後付けの方が勝っているようです。また、近年は札幌の専門店などで冷凍保存していない生ラムを提供するお店が増え、生ラムの後付けというスタイルが一つの業界標準になっています。
一方で松尾や義経などの味付けジンギスカンのチェーン店は函館や札幌を含む全道に支店を展開しているほか、各地の肉屋さんがオリジナルのたれにつけ込んだジンギスカンを販売しており、それらを買っての家庭での味比べも楽しいものです。
●天皇陛下もジンギスカンを食べていた!
宮中晩餐会といえばニッポンの食文化の粋を極めた料理が出されていると想像するわけですが、その席でジンギスカンがたびたび供されていたという事実を知る人は多くはないでしょう。実は羊のもも肉の蒸し焼き、ジンギスカンなどの料理が多く出されていたというのです。その味は一級品で、世界中からの賓客に「御料牧場の羊は世界一美味しい」と絶賛されているそうです。御料牧場とは栃木県高根沢町の丘陵地帯にある252hr、新宿御苑の約4倍の大農園。皇室の日常の食事と宮中晩餐会などの行事その他で使われる食材を生産する牧場です。そこではサフォーク種、約500頭を当歳(その年に生まれた羊)、二歳、繁殖用の雌に分けて飼育しているそうです。晩餐会の料理に使われるのは二歳の羊が多いとのことで、当歳に比べて身が締まり、羊特有の臭みもないという話です。羊肉は出荷に合わせて冷蔵庫で2〜3週間保存して熟成され、最高の状態で大膳課に届けられるそう。資料は秋山主厨長(秋山徳蔵。大正2年、25歳で天皇の料理番になった名料理人で、昭和47年辞職)の時代の話ですから、今現在もジンギスカンが出されているかどうかはわかりませんが、少なくとも昭和天皇はジンギスカンを食していたのは間違いないところです。ジンギスカン好きにとっては、ちょっといい話ではありませんか?