夏の浜辺で味付けジンギス! 2000年7月
世の中にはライバルというものが必ず存在する。
例えば古くは源氏と平家。野球でいえば巨人と阪神。サッカーでいえばバルセロナ とレアル・マドリード(ここは知ってる人だけが納得してくれればいいです)……
etc.
もちろんジンギスカンの中にもライバルと呼ばれる関係がある。
味付け肉と生肉(下味を付けてない肉)である。
ジンギスカンの本場北海道でも味付け派と生肉派の論争がかまびすしい。
では、味付けと生肉はどのような歴史を経てきているのだろうか……。
調べたところによると、ジンギスカンのルーツといわれる中国の「鍋羊肉(コウヤンロウ)」は下味を浸けた羊肉を焼いたものらしい。
ということは、最初のジンギスカンは羊肉の臭みをとる意味もあって、下味を付けたものだったと推察される。
羊肉推進のためにジンギスカンを広めたといわれる滝川種羊場の食べ方も「羊肉をタレに漬け込み下味を付け、食べるときにもタレを用いる」とある。
では、生肉の記述はと探してみると、昭和28年5月30日に札幌の月寒学院に発足した「成吉思汗倶楽部」の会報第1報に「別に用意したタレ汁に焼いた羊肉を浸けながら食べるように」と書いてある。
歴史は味付け肉の方が古く、肉屋でもオリジナルのタレを付けた肉の方が臭みも出ず、保存もしやすいので、味付け肉が隆盛したのであろう。
インターネットで検索しても、通販をしているジンギス屋さんはほとんどが味付けであった。
しかし現在は冷凍技術、輸送手段の発達によって、味付け肉よりも生肉の方が勢力が拡大しているようである。
東京でも新規にオープンしているジンギスカン専門店は生肉ばかり。味付け肉はやや押され気味というところであろうか。
われわれ東京ジンギス倶楽部も、最高顧問がこてこての生肉派なので、つい買ってくるのは生肉ばかりになってしまっていたが、会長と男爵は美味しければどちらでもいいニュートラルな立場。
もちろん今までにも都内で売っている味付けジンギスはいろいろ買って食べてきている。(九段は靖国神社のすぐ側にある「トンデンファーム」の直営店や、変わったところでは旭川ラーメンを世に広めた恵比寿の「山頭火」のオリジナル味付けジンギスなど)
そして今年の海キャンプにあたって、ジンギス肉をどこで調達しようという話になっていたときに、たまたま掲示板に「東洋肉店」さんの書き込みがあったので、最高顧問を説得して、通販としては初めて味付けジンギスを東洋さんから買ってみたのだった。
(あ〜〜っ疲れた。前置きが長すぎたかな……)(苦笑)
7月某日、天気快晴。絶好のキャンプ日和。
我々東京ジンギス倶楽部の家族とその友人達、子供合わせて総勢14名は神奈川県は三浦半島の某穴場海岸にキャンプを張った。
学校は夏休みというのに人のあまり来ない小さな漁港。岩場と荒い砂場が混在して、磯遊びや魚釣りにも最適である。
しかし、穴場には穴場のわけがあった。
まず驚いたのがフナムシの多さ。一歩足を踏みしめるたびに足型に逃げ惑うフナムシ達。イスに座っていると足に飛びついてくるフナムシの子供達。その数が半端ではない。
もう一つ、潮が満ちてくると岩場が消えて、我々がテントを張っていた海岸が陸の孤島になってしまう。しかも後ろはすぐ山なので、その海岸は猫の額のように狭くなってしまうのだ。
そんな困難の中、さっそく東洋さんの味付けジンギスでジンギスパーティを始めた。
今回注文したのは生ラム肩ロース(厚め)500g、ラム肉500g、生ラムもも500g、ジンギスカン(全部ジンギスカンなのに、これはそういう名前で販売していた)500gの総計2kg。それにおまけのソーセージも付けてくれました。味付けジンギスカンということで野菜をたっぷり用意。
今回は残念なことに男爵はドタキャンで来られず、東京ジンギス倶楽部は最高顧問と会長の二人だけ。ん〜〜〜〜っ、2kgはちょっと多かったかとやや不安。
ここで痛恨事が発覚。最高顧問が持ってくるはずだったジンギス鍋を、あろうことか忘れてきてしまったのだ。
生肉派として、今回味付けジンギスに自分の鍋を使われるのを嫌がって、わざと忘れたんじゃないかと責められ、必死に弁解する最高顧問。額に浮かぶ汗は暑さだけのものではなかったようであった。
しかたがないのでフライパンでジンギスを焼くことになった。
いつもなら心躍る幸せの音も、フライパンではいつもの迫力が無い。寂しい。
まずはお腹がいっぱいにならないうちにと、一番高い生ラム肩ロースから。
袋からタレごと肉をフライパンの中へ。ある程度炒まったところへ大量のもやしとキャベツを投入。つづいてニラ。タレの焼ける良い匂いがあたりに漂う。
まずはお肉を一口。
タレは醤油ベースの旨味がギュッと詰まったような味で、奥が深い。松尾などの味付けジンギスカンと同種の味わい。
肉はスジもなく柔らかい。厚めを注文したので食べごたえ充分。ただ、生ラム肩ロース肉なので羊肉の香りがちょっと物足りないか。
子供たちも一斉に箸を延ばしたので、500gがあっという間に無くなってしまった。
野菜もタレと絡まって美味い。ビールのおつまみにも良いけれど、それよりもご飯(それも炊き立ての白米)が欲しくなる。
続いて生ラムもも。さっきよりも肉がやや硬いものの、それほど気になることもない。
この肉もすぐに食べ終わってしまった。
子供たちにはカレーも作ってあったので、それも食べてお腹がいっぱいになったのか、ここで子供たちの食事は終了。てんでに波打ち際で遊びだす。
次にジンギスカン。肉の部位はどこなのか書いてないのでわからない。
今までの中で一番硬い。ただ、噛みきれないというほどではなく、これも十分に柔らかい。羊肉の香りも感じられ、ジンギスカンと名のるだけのことはある、もっともジンギスカンらしい味。
ここまで食べてきて、ずーっと同じ味だったのでちょっと飽きてきてしまった。味付けにも2種類くらい味の違いがあるといいんだけどなぁ……。と思いながらここで
ジンギスカンは小休止。
おまけにもらったソーセージを網で焼いて食べる。
このソーセージが美味かった。焦げてピキッとはじけた皮から脂があふれ出す。
食べるとピリッとスパイスが効いていて、腸詰めの中の肉の粒々が感じられる。
今度東洋さんに肉を注文するときは、ソーセージも合わせて注文しようっと。
気分も新たに最後にラム肉。この頃にはみんな満腹になり、ジンギスをつまむのは東京ジンギス倶楽部の2人だけになってしまった。
ビールを飲み、無駄話に話を咲かせながらジンギスをつまむ。
聞こえてくる波の音。心地よく頬をなでる浜風。空には満天の星。海の向こうでどこかの花火大会の音が小さく鳴っている。ときおりカサコソと聞こえるのは足下を這い回るフナムシたち。
宴は延々と続いていくのであった。
今回味付けジンギスにして感じたこと。
同じ味で2kgは飽きる。生肉ならばタレや薬味で味を変えて食べられるけれど、味付けはタレの味が強いので、どれも同じ味になって、量が多いときはちときつい。
味付け肉と生肉の両方を持っていったほうがいっぱい食べられると感じた。
今後はタレの味をいかに飽きないように改良するか(タバスコを入れて辛くしてみたり、擦ったニンニクを大量に入れてみたり)という研究もしてみようと思う。
味付けのいいところは、野菜がいっぱい食べられること。美味しいタレがからんで、野菜炒めとしても絶品であった。ヘルシーでご飯も美味しい。
肉はどれも柔らかく、厚みもあって食べごたえがある。子供たちには味付けの方が喜ばれたようだ。
東洋肉店、野崎ジンギスカン、有名な松尾ジンギスカンなど、味付けジンギスカン
を売っているところはタレの味に各社自信を持っているので、いろいろな味付けジン
ギスを食べ、タレの味を比べてみるのも面白そうだ。
初おろし! 東ジン専用ジン鍋 2000年9月
初めての儀式というものがある。キリスト教でいえば洗礼。お正月の「初詣で」なんていうのも一年の始まりを告げるその年初めての儀式といっていいだろう。
習字の世界でいえば「筆下ろし」というのも(おじさんはその言葉にあごに手をやり、遠くを見つめて懐かしそうな顔をしてしまうのだが)習字を習っている子供にしてみればちょっと嬉しい、初めての儀式だ。
ジンギスカンにおける初めての儀式といえばどういうときだろうか。
それは何といっても新しい鍋をおろすとき。
今回我が「東京ジンギス倶楽部」では、沖縄無人島ジンギスキャンプに合わせて、念願であった倶楽部専用の穴開きのジンギス鍋を手に入れた。
そこで、この鍋の長命と旅行の安全、そして倶楽部のますますの繁栄を願って、初焼きの儀を執り行うことにした。
その方法は、東ジン掲示板でCOCO田中さんから教えてもらったやり方にのっとり、空焼き&油塗り方式。
「どうせだったらついでにジンギスパーティも開こうよ」という最高顧問の提案で、親戚縁者、友人知人も招いて9月の某日曜日、いつもの川原で「初焼きの儀&ジンギスパーティ」が決行されたのであった。
今回も大人11人、子供6人の大所帯ということで肉は味付けジンギスはらむ亭から(初めて注文)、生肉は最近生肉通販を始めた東洋肉店から注文。
内容は味付けがらむ亭のお試しパック(ジンギスカン500g3パック+味付け牛サガリ600g+手造り生ダレ180g)送料無料の3500円。生肉は生ラム肩ロース500g+生ラムもも500g+秘伝の特製つけ込みタレ500g。送料込み3837円。
当日の天気予報は曇りところにより雨だったにも関わらず、雲一つ無いドピーカン。絶好の屋外ジンギス日和になった。
三つの七輪に火をおこし、まずは穴開きジンギス鍋の初焼きの儀。見よう見まねのお払いを済ませたあと、七輪を鍋にかけ鍋がチンチンに熱くなるまで熱する。
その間に他の二つの七輪にも従来のジン鍋をかけてラードをのせ、まずは味付けジンギス肉から始めた。
ジュ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ
いつもの幸せの音。
味付け肉はタレのあぶくを作りながらみるみる焼けていく。タレの焦げる香ばしい香りがあたりに漂う。みんなの喉がゴクリと鳴る。
肉の厚みは約1cmとかなり厚い。まずは一口。さっそくらむ亭のタレの味を味わう。フルーティで甘い味わいが口の中に広がる。フジリンゴベースで作ったタレといううたい文句はダテではない。
ただ、タレが甘すぎるという意見もあった。野菜も投入しどんどん焼いていく。
もう一つの鍋には生肉をのせる。生肉通販は今回初めての東洋肉店のもの。ここは注文するときに肉の厚さを薄め、普通、厚め、ブロックと4段階で注文できる。HPには焼き方によるお薦めの厚さも書いてあってとても親切である。ただ、それが何ミリくらいかというのが書いてないので今回は無難に普通の厚さを注文した。
秘伝のタレをお皿にとりわけ、焼けた肉を付けて食べる。
タレは袋に入っているので取り分けずらい。
一口食べてみる……。あれ? 味付けジンギスカンと同じ味になっちゃった。
しかし、これは注文した会長の勘違いで、つけ込みダレを焼いた後に付けるつけダレと勘違いしてしまったため。後でよーくHPを見てみたら、つけ込みダレとちゃんと明記してあった。その下のベルの「特選ジンギスカンのタレ」を注文すればよかったのである。
肉自体は美味しい肉であったが、ももの方が噛んだときに多少パサついた感じがしたのがちょっと残念。焼きすぎたわけではないので、これは輸送の時の保存状態に原因があるのかも。
ももと肩ロースだと、女性陣にはももの評判が良く、我々東ジン幹部連中は脂肪が乗ってジューシーな肩ロースに人気が集中した。
「でも、真のジンギス好きはやっぱりマトンかな……」という意見にもなり、今度はマトンも注文してみようということになった。
初焼きの儀の方はチンチンになった鍋を火から下ろし、熱いうちに表面にオリーブオイルを塗って、あとは砂ぼこりなどがつかないようにしながら冷まし、無事に終了した。
その間に肉も野菜もどんどん焼けていく。9月とは思えない強い日差しにみんな汗をかき、顔を真っ赤にして肉を頬張る。
川原には自転車に乗ったアイスキャンディー売りのおじさんまで登場して、すっかり夏に戻ったようだ。
ジンギス肉をすっかり平らげ、最後に牛サガリが残った。
「牛サガリとはいったいどこの肉だ」という話になったが、たぶんハラミのことだろうということで落ち着いた。(あとでHPを見てみたら、「商品」という項目のところで、バックと文字の色が一緒で分かりにくかったが、「牛サガリ」の項目があり、やはりハラミだった)
さっそくこれも焼いて食べる。これはベースのタレにニンニクが入っているとのこと。焼いてそのまま食べるとちょっと物足りない。一緒に入っていたタレに付けて食べるとちょうどいい味わい。
でも、こういう味のタレにはやはり羊がいちばんよく合う。という北海道出身者のこだわりの声もあった。
東洋肉店がまたもや入れてくれたおまけのソーセージを焼き(前回は羊のソーセージ、今回は豚のソーセージということだったが、羊の方が美味しく感じた我々は真の羊好き…?)、最後に今回初参加のT林さんが持ってきてくれたシャケ(新巻)とタラ(お腹に白子がいっぱい。これがトロッとしてもうバカ美味!)を焼いて食べた。
気がつけばもう夕暮れどき。お腹も苦しいほどに満腹。
みんなで記念撮影をして散会となった。
せっかく味付けと生肉の両方を用意したのに、会長の勘違いで両方とも味付けジンギスカンの味になってしまったのは残念。またもや課題を残してしまったものの、初焼きの儀も滞りなく執り行われ、充実したジンギスパーティーであった。
――――――序章―――――――
それは4月初めのお花見の頃。いつものメンバーが集まって話していた、何気ない雑談から始まった。
すでに2回沖縄の無人島でキャンプを経験しているlamuo男爵が「今年も無人島でキャンプしたいよね」とぽつりとつぶやいた。
「東ジン無人島へ行く! なんて語呂がいいよね」と4年前に一度経験している最高顧問が応える。
「行っちゃいますか」と行ったことのない会長。
話は俄然熱を帯びてきて、後日、新橋の「ジンギスカン金太郎」に集まって無人島会議が行われ、あっという間に「無人島ジンギスキャンプ」の概要が出来上がった。
期間は6月28日から7月2日まで。飛行機の予約、宿の手配、無人島渡しの船のチャーターからジンギス肉の手配と、それぞれの役割も決まり、話を聞きつけて参加してくれることになったダイビングと水中写真が命のTamm氏も交え、4人のおじさんによる「無人島ジンギスキャンプ隊」が結成された。
このTamm氏、元役者という男前のうえに、友人の中でも一番男気があり喧嘩も強く、まさに男の中の男という感じの好人物。彼の参加はじつに心強い。(Tamm氏はその時に行った「金太郎」の大ファンとなり、東京ジンギス倶楽部特別会員となる。)
ところが出発を2週間後に控えた6月の半ば、最高顧問が突然の肺炎にかかり緊急入院。計画はあえなく頓挫。飛行機の予約や宿をキャンセルし、また今度ということでその計画は流れてしまった。
(実は去年の無人島キャンプでも最高顧問は出発2日前に子供が急病で緊急入院。ドタキャンになってしまったついてない男である)
しかし、我々はその計画を諦めたわけではなかった。2ヶ月後、またもや4人が集まって、再び「無人島ジンギスキャンプ隊」が結成されたのである。
期間は9月14日から18日まで。今度こその思いから東京ジンギス倶楽部専用穴開きジンギス鍋も買い、「初焼きの義」ではついでに旅の無事も祈願し準備は万全。
デザイナーという職業の会長の特技を生かし、東京ジンギス倶楽部オリジナルTシャツ及びエプロン、それに無人島上陸記念のTシャツまで作るという凝りよう。
2回の経験を持つlamuo男爵と最高顧問の指揮の下、キャンプ道具もてきぱきと梱包して経由地の宿に送り、肉は「なみかた」のおやじさんに無理を言って沖縄に送ってもらうように頼んだ。(休業日にも関わらず、快く手配してくれた「なみかた」のおやじさんに感謝!)
最高顧問には出発の日まで家族全員にうがいの励行を義務づけ、あとは出発の日を待つばかりとなった。
しかし、最初の計画でケチのついたこの「無人島ジンギスキャンプ隊」。
まさかあそこまで波乱万丈の旅になろうとは、いったい誰が想像したであろうか………。
ジンタレは東京からベルのオレンジラベルを持参。沖縄の大きなスーパーにもジンタレは置いてないかと、那覇のダイエーを探してみたが、残念ながら置いてなかった。
タクシーの運転手や民宿のおやじさんに聞いてみたが、みんなジンギスカンという名前は聞いたことがあるが、食べたことはないという。沖縄では羊よりも山羊(沖縄ではヒージャーと呼ぶらしい)の方がよく食べられるとのこと。確かに町では「山羊料理」という看板をよく見かけたが、羊料理という看板はなかった。どうやら沖縄はジンギスカン不毛の地かもしれない。(羊料理なんて看板、東京にだってないか)
ラードが溶けて鍋から油煙があがる。ちょうど頃合いと見て肉をのせる。まずは生ラムショルダーから。
ジュ〜〜〜ッといういつもの幸せの音が辺りに響き渡る。その他に聞こえるのは寄せてはかえす波の音だけ。
ラムの焼けるいい香りが4人をの鼻腔をくすぐる。やもたてもたまらず、最高顧問が生焼けの肉を頬張る。
「ウマイ!!」
その声に他の3人も我先にと箸をさしだす。
穴開きのジンギス鍋はどこがいいかというと、まず第一に火の回りが早い。玉葱やニンジンなどの硬い野菜もそれほど待たずに食べられる。
次に肉の余分な油が落ちるので、さっぱりとしつこくなく食べられる。ヘルシーで成人病予備軍の会長にはまさにうってつけ。
そして、もっとも気に入ったところが、肉に美しい焼き色がつく。穴の開いているところで焼けた部分は濃い焼き色、鉄板部分で焼けたところは薄い焼き色。このコントラストが見た目にも食欲をそそる。この鍋を買ってよかったとみんなでうなずきあった。
あっという間に生ラムショルダーが無くなった。
次は生マトンもも。
やはりジンギスカンはマトンにとどめを刺す。ラムは一般受けはするが、我々にはどうも癖がなさ過ぎる。羊の香りを適度に保ち、柔らかすぎず堅すぎず、弾力を持った噛み心地。羊好き、ジンギスカン好きならばやはりマトンでしょう。
そして最後は骨付きのラムチョップ。
なみかたのおやじさん、無人島で忘れているといけないからと粗びきの黒胡椒までパックしてくれていた。塩は今回はドイツの塩。これがサラサラと粒が細かくて、上品な感じの塩だった。
さっそく塩とコショウをまんべんなくふりかけて七輪で焼く。油が炭に落ち、ボッと炎が上がる。夜のとばりが下りた海をバックに、ときおり上がるオレンジの炎のその美しさに見とれてしまう。
今日は月齢17日。まわりに灯が無いぶん、月がとても明るい。海には月の道がキラキラと銀色に光っている。あまり月が明るいので満天の星…というわけにはいかなかったのがちょっと残念。(月明かりで本が読めそうなほどだった)
焼けた肉にかぶりつく。このラムチョップ、身体が震えるほど美味い。申し訳ないがジンギスカンよりも美味いんじゃないかと思うほど。味付けは塩コショウのみなので、肉の旨さがダイレクトに伝わってくる。一人2本の割当てしかないのが悔しい。
ところで、どうしてこう骨付きの肉というのは、食べていると人をワイルドな気持ちに駆り立てるのだろうか。特に骨についている肉を食いちぎっていると「コンチクショー」という気持ちになり、スジっぽいところを歯でこそげ取っていると「ガルルルル……」という気分になってくる。(こんな気持ちになるのは会長だけ…?)
4人でこの肉の量ならちょうどいいだろうと思っていたのだが、Tamm氏の意外な食欲に、ちょっと物足りない感じ。最後におまけのたたき用肉が残っていたのだが、ここは気分を換えて、lamuo男爵がインターネットでレシピを調べたヒラヤーチーを作った。
小麦粉を卵と水でゆるゆるにとき、ニラなどを入れてごま油で焼いたそれは、まさに韓国のチヂミそっくり。こんなところにも沖縄のチャンプルー文化を感じずにはいられない。
コーレーグース(泡盛にとうがらしを漬け込んだ沖縄独特の調味料。別名島とうがらし)を入れてみようという会長の提案で、Tamm氏がコーレーグースを焼いているフライパンに……。
「あっ!」
Tamm氏の声にフライパンを見ると、ビンを傾けすぎたのかコーレーグースがドバッと入ってしまっていた。
焼けたヒラヤーチーを1口食べてみる。
辛い!!
想像通り、激辛のヒラヤーチーが出来上がっていた。口の中を火事にしながら激辛ヒラヤーチーを頬ばり、オリオンビールを流し込む。これはこれで美味い。ビールがどんどんすすむ。
最初の1枚を平らげ、2枚目を焼く。
今度はあまり辛くないようにしよう、というみんなの意見に大きくうなずいて、再びTamm氏がコーレーグースをフライパンに。
「あっ!」
フライパンの中にはまたもや大量のコーレーグースが……。
けっきょく我々は激辛ヒラヤーチーしか食べることができなかった。
最後にたたき用肉を焼く。表面を軽くあぶってニンニク醤油に漬けて食べる。噛めば噛むほど羊の香りがひろがり、ニンニクの香りがそれを追いかけ、飲み込むと羊の香りだけがサッとなくなる。その美味しさに陶然とする。
月明かりはますます冴え、聞こえるのは波の音だけ。酔うほどに泡盛はすすみ、夜は更けていく。
lamuo男爵と会長が知っているだけの「島唄」を朗々と歌いはじめた。その島唄を子守歌に最高顧問とTamm氏はうつらうつら。
人口350人余り。信号機もない小さな離島でのキャンプはこうして更けていくのであった………。
*ご案内/このあとに続く第一章〜第三章は会長の筆による「東ジン無人島へ行く」本編ですが、
ダラダラと無駄に長く、読んでいると疲れることうけあいですので、ヒマでほかにすることがなく、
さらに沖縄に興味のある方だけご覧ください(笑)