東ジン無人島へ行く 2000年9月

――――――第一章―――――――

 まず最初の躓きは台風の襲来であった。
 9月11日沖縄本島に上陸した台風14号は、普通なら1日か2日で沖縄を通り過ぎてしまうのに、我々をじらすように時速10〜15kmの超ゆっくりペースで、なかなか沖縄を出ていこうとしない。
 12日。沖縄行きの飛行機は全便欠航らしい。
 13日。インターネットで頻繁に天気図を見る。台風は沖縄本島をようやく抜けたものの、まだ沖縄は暴風雨圏内。
 11日上陸なら14日にはとうに通り過ぎ、台風一過、青い空が広がっているだろうとタカをくくっていた我々に、いやぁ〜な予感が広がってきた。

 飛行機は羽田午前8時25分発のANA0081便。那覇空港には10時55分に到着予定。
 期待と不安を抱えたまま7時半頃それぞれ羽田に集合。
 会長と最高顧問は練馬の同じ駅なので、何時の電車に乗るのかと聞くと「6時17分」との答え。よし分かったとうなずいたのだが、改札口で待つものの最高顧問が来ない。
 あれほど「うがい」を励行するように言っておいたのに、また家族の誰かが緊急入院でドタキャンか……?と心配したが、なんのことはない。気持ちのはやる最高顧問は一本先の電車で行ってしまっていたらしい。
 ANAのカウンター前に集合とだけ決めていたのだが、行ってみるとカウンターの長いこと長いこと。いったいどこにいるのかと長いカウンターをきょろきょろしながら3往復もした頃、ようやく最高顧問を発見。みんなそれぞれ落ち合って喫茶店で台風対策を練っていたらしい。携帯を持っていない会長のみ不安顔でカウンター前をうろうろしていたようだ。
ANA0081便の窓から 4人揃ったところで搭乗口へ。飛行機は定刻出発。「早割り」のチケットなのに座席は2階席。何だか得をしたような、これはもしかしたら幸先がいいのかと嬉しくなる。
 しばらくするとさらに喜ばしいことに、機内のアナウンスが「沖縄の天候は晴れ」と告げるではないか。我が耳を疑った。なんという幸運!!!
 我々は狂喜した。ついでに乱舞もしようと腰を浮かしたが狭い機内のこと。たちまちパーサーに取り押さえられるのを恐れて、心の中で小踊りだけして喜びを噛みしめた。
 各人の頭に「日頃の行い……」などという言葉が浮かび、自然と緩む頬を引き締めつつ飛行機は定刻通り那覇空港に到着。出口で見送りのスチュワーデスに「ありがとう、ありがとう」と何回もお礼を繰り返し、足取りも軽くタラップを出て空港内へ急いだ。
 
 しかし、機内アナウンスと違って沖縄の空はどんよりとした雲が低く立ちこめ、青空などはどこにも見えない。荷物を受け取り、予約したレンタカー屋に行くころにはポツポツと雨も降ってきた。
 いったいどこが晴れなんだ全日空!!(怒)
 あぁ、スチュワーデスにあんなにお礼を言って損した!と後悔のホゾを噛んでいるうちにレンタカーの手続きも終わり、我々は那覇市内へ向かった。
 途中道のあちこちで大きな木が倒れていて、台風の被害の凄さを物語っている。天気は相変わらず小雨がぱらついている。この天気はどうなるのか、明日本当に船は出るのかと不安になる。
 
 本日の予定は那覇市内でキャンプ用の食料等の買い出しをしたのち、夜は宜野湾市にある「島唄」というライブハウスでネーネーズという女性4人組のライブを堪能する予定である。
 ネーネーズはいってみれば今回の旅のテーマ曲。ネーネーズの唄に出会って沖縄を知り、沖縄を好きになった我々には、このライブは特別の感慨がある。実に楽しみだ。
 
 ちょうど時間はお昼時。沖縄での腹ごしらえはまず「沖縄そば」だということになり、lamuo男爵がインターネットで調べた「沖縄そば」の美味い店情報を吟味して、浦添市にある『てだこ』という店に行くことにした。
 この『てだこ』。地元の人が3日連続で通うほど「でーじうまい!」(訳:とても美味しい)と評判の店らしい。
 カーナビというのは実に便利なもので、浦添市民会館の向かいあたりという情報をインプットするだけで、たちどころに我々をその場に導いてくれる。
 カーナビの「あっちへ行け、次はこっちだ。そこの角を右へ曲がれ、今度は左だ」という指図通りに走っていったら、なんなく『てだこ』という看板を発見。知らない土地ではこれはありがたい。
 店の前の駐車場はいっぱい。しかも車のナンバーが全て沖縄ナンバー。ということは、やはり地元の人に愛されている店に違いない。本当の「沖縄そば」が食べられる……。
 我々の期待はいやがうえにも盛り上がった。
(のちに気がついたことだが、沖縄は離島ゆえ観光客もほとんどがマイカーではなく、手軽なレンタカーを使う。沖縄ナンバーだらけは当たり前だった)
 ちょっと離れた駐車場に車を止めて、本格的に降り始めた雨の中を小走りに店に飛び込んだ。店内はカウンターが8席に14人くらいは座れる上がり框があり、全部で20人くらいも座ればいっぱいになる広さ。予想に反して店内には7人程の客しかいなかった。聞けば前の駐車場は『てだこ』専用ではないらしい。
 それでも店内の客はみんな地元の人らしい服装。アロハを着た兄ちゃん、土木作業風の二人連れ、タクシーの運転手風のおじさん(これは長いので以後タク運おじさんと呼ぶ)など。男性は腕に濃い毛を生やした人が多い。みんな美味しそうに「沖縄そば」を食べている。
てだこのメニュー メニューは「沖縄そば」「そーきそば」「よもぎそば」「野菜そば」「ひやしそば」。いずれも500〜550円とリーズナブル。その他はおにぎりかご飯だけという、そばのみで勝負する頼もしい店だ。麺は手打ちで、「よもぎそば」は麺にヨモギが練り込んであるという。
 Tamm氏が大盛りそーきそば、あとの3人は普通のそーきそばを注文。会長の目の前で食べているタク運おじさんのよもぎそばも実に美味しそうだ。
 そばが運ばれてきた。そばと呼ぶにはあまりにも太く、うどんと呼んだほうがいいのではないかと思わせる沖縄そば独特の手打ち麺に、意外と澄んだスープが食欲をそそる。
てだこのソーキそば まずはスープをひと飲み…………。
 美味い!
 かつおだろうか。だしがよく利いていて、なんとも味が濃くて深い。今まで東京でも「沖縄そば」をいろいろ食べているけれど、味の深さが格段に違う。手打ちの麺もほどよくコシがあってモチモチし、ちょっと縮れたところにスープがからまっていくらでも食べられそうだ。半分食べたところでテーブルの紅ショウガとコーレーグース(唐辛子を泡盛に漬け込んだ沖縄独特の調味料。別名島とうがらし)を入れてみる。
 ほどよい辛みと泡盛の香り、それに紅ショウガの酸味が交わってさらに美味しさが増した。美味い美味いと一気にスープまで飲み干してしまった。
 店内にはなじみらしい客が入れ替わり立ち替わりやってくる。このそばなら三日連続で通っても飽きないというのも偽りじゃないと思う。

 ここで気がついたのだが、沖縄のおじさん達はマンガが好きなのだろうか?それともこの店にマンガ好きのおじさんが集まるのか。
 60過ぎくらいのおじさんが入ってくるなり店に置いてある「月刊少年マガジン」を取り、手持ちぶさただからという感じではなく、真剣に読んでいる。そばが運ばれてきても読みながら食べている。タク運おじさんも食べながらもくもくと「週間少年ジャンプ」を読んでいた。
 また、わざわざマンガの単行本持参(それも少年マンガ)で来る50がらみ、60も多少からむかというおじさんもいたりなんかして、なんとも不思議な光景だった。
 
 買い出しにはまだ時間があるのでどこかで観光をしようということになり、そばを食べながらみんなで相談。最高顧問は名護市にある「オリオンビール」のビール工場を見学したがっていたが、ここからは遠すぎるので断念。会長は玉泉洞王国村で白ヘビに触りたいと主張するも、気持ち悪いとあえなく却下。ハブとマングースの戦いでもみようかと話していたら、店のおばちゃんが「ハブとマングースはさァ、わたしらもこの前見に行ったけどさァ、動物愛護協会のなんとかで、もうやってないさァ」と親切に教えてくれた。そこでまたもやすったもんだしたあげく、けっきょくここから近い「ひめゆりの塔」に行くことにした。 

 美味しい沖縄そばにみんな大満足で店を出て、何気なく店の前の自販機を見ると、「うっちん茶」「さんぴん茶」という東京では見たこともないお茶を売っている。珍し物好きの会長はさっそく「さんぴん茶」を買ってみる。味は麦茶のようであり、ウーロン茶のようでもあり、ジャスミンの香りもほのかにする。これは珍しいと喜んでいたのだが、この後すぐに分かったのだが、これらのお茶は沖縄県内ならどこにでも売っている、当たり前のお茶であった。
(このあとこの「さんぴん茶」をどれだけ飲んだことか)

 車での道すがら『てだこ』とはどういう意味なんだろうという話になった。
 日本各地に独特の凧があるように、沖縄にも手凧という名前の凧があるのではないか?
 いやいや、手にタコができるほどしっかりと麺を手打ちしているからだろう……といろいろな意見が出たが、真相が分かるはずもなく、ばか話に話を咲かせながら「ひめゆりの塔」に向かった。
 カーナビでは1時間弱で着く予定だったのだが、あいにく那覇名物の交通渋滞にはまりなかなか先に進まない。
 遅々として進まない車の窓からぼんやり通りの看板などを見ていると、「リヤカー商会(各種メーカーリヤカー、自転車取り揃えています)」と書かれた看板を発見。(ふ〜ん、沖縄はリヤカーにもメーカーがいろいろあるんだ)
 家具屋の駐車場の中になぜか「出雲大社分社」の看板が。でも、出雲大社らしき建物は見当たらない。
 次々に現れる不思議な看板に面食らっていると、となりに止まったタクシーにも不思議なものを発見。なんとタイヤホイールにまで看板が付いているのだ。(車が動きだせば回って見えなくなっちゃうだろうと思ったら、このホイール看板、ゆらゆら揺れるけど回らないんだね。)
那覇市内のタクシー 目を白黒させているうちにようやく渋滞を抜け、サトウキビ畑の間を走り「ひめゆりの塔」に到着した。
 が、なにか様子がおかしい。新しい公園みたいだ。看板をよく見るとそこは「ひめゆりの塔」ではなく「ひむかいの塔」と書いてある。しかしカーナビは確かにここが「ひめゆりの塔」と示している。
 わけも分からぬまま海の方に車を走らせると、カーナビには道が出ていないのに、通ったあとに道ができていく。高村光太郎の「私の前に道はない。私の後ろに道ができる……」という詩が頭をよぎる。レンタカー屋でもらった地図を拡げ、あっちだこっちだ、ここはどこだと走りまわり、どうにか「ひめゆりの塔」に着いた。どんなに便利な機械でも、過信してはいけないということを教えられた。
 
みやげもの店 小雨の降る中、お土産屋のおばちゃん達の呼び込みの声を振りきり(このお土産屋の名前が変だった)、神妙な面持ちで石碑と塹壕を覗いてみる。最高顧問、lamuo男爵、Tamm氏も何か感慨深いものがあるのか、神妙に眺めている。
 ここにはデイゴの大木があった。これが唄などによく出てくるデイゴか……と感心しながら見上げると、とんでもなく巨大な蜘蛛(15cmくらい。掛け値なし!)が巣を張っていて、慌てて逃げ出した。
ひめゆりの塔 一足先に車に戻ってあたりをウロウロしていると、「ひめゆりの塔」のすぐ隣にキラキラと輝く巨大な看板で「USASHOP」と書かれた店が。「アメリカの品物がどこよりも安く!」とも書かれている。「ひめゆりの塔」のすぐそばにこのような店はいかがなものか……。あまりにもデリカシーのない。
 神妙な気持ちがいっぺんで吹き飛んでしまった。
 
 みんなが揃ったところですぐ近くの「琉球ガラス村」に行き、ガラス造りを見学し、それぞれお土産などを買って那覇に戻ることにした。
 
 途中、糸満の釣具屋に寄ってモリを購入する。毎回魚取りに挑戦し、けっきょく1匹も捕まえられないlamuo男爵が、今年こそは絶対に捕まえて旨い刺し身を食べさせてやる、と鼻息も荒い。三つ又のモリを買おうとしたら最高顧問が「男は一本モリだろう」と言い出した。男の中の男のTamm氏も大きくうなずいている。「よーし分かった!」とlamuo男爵も売り言葉に買い言葉で一本モリを買ったのだが、これがのちに後悔することになろうとは……。
 
 那覇に戻り、まずはキャンプ用のドライアイスを購入することにした。あらかじめ調べてあった住所をカーナビにインプット。しかしまたもや迷子になり、けっきょく電話で道順を聞きながらようやくドライアイス屋に着いた。
 もうカーナビは信用ならんと怒っていると、その店が最近引っ越していたということが分かった。カーナビよ、疑って申し訳ない。と思ったものの、次に行くスーパーでもまたまた迷子。多分この辺とウロウロしていたら、スーパーの大きな看板をみつけ、それを頼りにようやく着いた。はたしてカーナビが悪いのか、我々の操作がまずいのか……。
 
 スーパーで食料の買いだしも済ませ、泊港近くのホテルにようやくチェックイン。時間は午後7時をまわっている。本日のメーンエベントのライブハウス「島唄」には予約者は8時までには行かなくてはいけない。
 あらかじめホテルに送っておいたクーラーボックスを受け取り、足早に部屋に入った。そして驚いた。
 部屋の中はサーモンピンクで統一されていて、ツインにしてはやけに広い。しかも備え付けの冷蔵庫がビジネスホテルには似付かわしくない大型の2ドアタイプ。それは嬉しいのだが、部屋の4分の1は占めるかと思われる大きなバスルームがガラス張りなのである。窓はと見るとみょうに小さな窓が一つ。ベッドこそツインだが、これがダブルだったらまるでラブホ………。
 同部屋の最高顧問を見ると、彼もぽかんと口を開けていた。
 
 いそいで食料を大型冷蔵庫に詰め、タクシーを拾い「島唄」に向かった。
 道すがらタクシーの運転手に明日の船のことを聞くと、「波の高さが4メートルなら高速船は無理。フェリーも出るかどうか……」と不吉な話。
 Tamm氏がi-modeで調べたところ、明日の波の高さは4mから6m。これは厳しい。最悪船が出ない場合、本島のどこかでのキャンプということになるかもしれない。
 しかし問題は島に送ったはずの荷物の所在。ホテルに送ったクーラーボックスは届いていたが、肝心のキャンプ道具の行方が、ヤマトに何度問い合わせても行方しれずで分からない。船が3日も欠航しているので、相当混乱しているようだ。
 タクシーが浦添市にさしかかったとき、道路脇に大きな看板で“『てだこ』の町浦添”という看板が目に入った。
「運転手さん、『てだこ』ってどういう意味ですか?」と最高顧問が聞いてみた。
「昔の古い言葉で『太陽』ていう意味なんですよ。普通ウチナーグチ(訳:沖縄の方言)では『てぃーだ』ていうんですけどね、もっと古い言葉ですね。」
 4人の膝が一斉にハタッと鳴った。
 
島唄でのネーネーズ 予定通り8時すぎに「島唄」に到着。ライブは9時から3ステージ。案内された席は最前列のなかなか良い席だった。予約してくれたlamuo男爵に感謝し、『てだこ』以来何も食べてない飢餓状態の我々は「メニューのこの上からここまでください」と食事メニューを全て注文する。メニューを品物ではなく、幅で注文したのは初めてだ。
 出てきたゴーヤーチャンプルー、ソーミンチャンプルー、トーフチャンプルーなどを難民のようにガツガツと掻き込む4人のおやじたち。店の人たちも不思議に思ったに違いない。チャンプルーの中ではフーチャンプルーというお麩の入ったチャンプルーがことのほか美味しかった。初めて食べるチャンプルーだが、お麩がダシの旨味を吸い、噛むと口の中にその旨味がジュワッと出てくる。
 ここのチャンプルーには全て缶詰めのランチョン・ミートが具として入っていたのだが、これが実に沖縄らしくて美味しい。さっそくキャンプではこれを入れてチャンプルーを作ろうと決める。
 チャンプルー類のお代わりを頼み、ビールや泡盛を飲んで良い気持ちになってきたころ、店内が暗くなってお目当てのネーネーズが登場。
 歌を口ずさみ、シャンシャン手拍子足拍子、指笛を吹いて大いに盛り上がる。第1部の最後には「豊年音頭」という島唄でみんな立ち上がってカチャーシー(沖縄の阿波踊りのような踊り)を踊り始めた。
うろたえるlamuo 店内のボルテージが最高潮に達したとき、会長の後ろでガッシャ〜〜〜〜〜ン!! という凄い音が………。
 何ごと? と後ろを振り向くと、lamuo男爵が床にはいつくばってコップやカメラのレンズを拾っている。
 盛り上がった店内を写真に撮ろうとして椅子の上に立ち上がったとたん、足を滑らして椅子から落ちたらしい。回りの客も何ごとかとこちらを見ている。
 ネーネーズは……と見ると、さすがはプロ。目の前のハプニングにも関わらず、こちらを見て口元に笑いをたたえながらもしっかりと唄い続けていた。
 
 第1部が終わったところで、とても重大な問題にぶちあたった。今日14日はオリンピックのサッカー日本vs.南アフリカ戦が行われている。もちろんこのライブのために生でのテレビ観戦は諦めているものの、再放送は夜11時から。ホテルに帰るのに30分の時間をみると、ここを10時30分には出なくてはいけない。第2部は10時10分から10時50分まで。最前列の席で途中で抜けて帰るのはネーネーズに失礼にあたる。今ここで帰るか、それともサッカーの前半戦を諦めるか………。サッカー好きの4人には重大事だ。
 lamuo男爵はすぐに帰ってサッカー観戦を主張したが、他の3人は前半戦は諦める方を主張し、けっきょく第2部を観て帰ることにした。
 第2部が始まり、またもやノリノリのステージが展開され、今度はハプニングもなく無事終了。
 さぁ、帰ろうと腰をあげると、lamuo男爵が「サッカーは諦めて第3部も観ていこう」と言い始めた。顔を見合わせる3人。
 しかし、筋を通す男Tamm氏が「lamuo男爵、さっき決めた通り帰りましょう」とさとし、大急ぎで「島唄」をあとにした。
 帰りのタクシーで那覇の泊港のそばに「札幌市場」という居酒屋の大きなネオンをみつけた。
「あそこにはジンギスカンがあるかもね」
「行ってみようか」「日本代表の祝勝会なんていいですねぇ」
「サッカーが終わるのが1時じゃもうやってないんじゃない?」
などと話していると、タクシーの運転手さんが「沖縄は夜型だからまだまだやってますよ」と教えてくれた。
 そこで運転手さんに「ジンギスカンて食べたことがあります?」と聞くと「名前は聞いたことがあるけど、食べたことはないですねぇ。北谷(ちゃたん)の方に『ジンギスカン』という名前の店があるらしいですけどね」という返事。
 そこで「ジンギスカン屋を沖縄で始めたら、繁盛しますかね」と聞くと、「ん〜〜〜〜〜〜〜っ」と言ったまま黙ってしまった。
 どうやら沖縄はジンギスカン不毛の地らしい。
 
 ホテルに着いて慌ててテレビをつけると、試合はまだ前半10分でスコアは0−0。我々の必死の応援が功を奏して(試合はとっくに終わってるんだけど)2−1で日本の勝ち。
 やったやった祝杯だ! と喜んでlamuo男爵を見ると、ベッドの上で高いびきをかいて寝てしまっていた。
 残った3人も「札幌市場」に行くのを諦め部屋に帰り、「かりゆし」を祈って(訳:晴れて海が穏やかになること)ベッドに入り、長かった沖縄初日が終わった。

 次の日起きて同部屋のTamm氏に言ったlamuo男爵の第一声が「試合はどうなった?」
 あれほどサッカーを楽しみにしていたlamuo男爵なのに、どうやら前半途中から寝てしまっていたらしい。痛恨の極みであった。

――――――第二章―――――――

 二日目の朝。普段の生活ではお昼近くまで寝ている、一般の人とかけ離れた生活を送っている会長が、何と7時には目覚め、まずは小さな窓を開けて空の様子を窺う。空は相変わらずどんよりと曇り、小雨も降っている。
 肩を落として隣で寝ている最高顧問を起こし、lamuo男爵、Tamm氏を誘って重い足取りで一階の食堂へ朝食を食べにいった。
 沖縄の事情に詳しい友人のいるTamm氏が朝電話で聞いたところによると、船が欠航するかどうかは8時に分かるらしい。
 キャンプ道具がどこに行っているか分からないけれど、船が出るようならとりあえず離島に行ってしまおうということで意見がまとまった。
 朝食のあと、会長とTamm氏は部屋に戻らず、そのまま泊港のフェリー待合所に様子を見にいくことにした。
 
 三日間も船の欠航が続いているせいだろう。待合所は人、人、人でごった返している。
 座間味行きフェリーのキャンセル待ち窓口には人がずらりと並んでいた。その数およそ100人くらい。みんな大きな荷物を持ち、疲れ切った様子でぐったりしながら床に座り込んでいる。
 ひとごみをかき分けながら予約窓口に行くと、ガラスに「本日の船は全て欠航します」と書いた張り紙が張ってあった。一気に血の気が失せていく。
「欠航だって……」と力なくいう会長。
「あれは昨日の張り紙ですよ」とTamm氏。よく見ると日付が14日になっていた。あくまでも冷静なTamm氏である。
 
 午前8時。波の高さは4m。予約してあった高速船「クィーン座間味」の欠航が決まった。がっくりと肩を落とす二人。しかし「フェリー座間味」は運航することになった。待っている一同にどよめきが起こり、拍手をする人もいる。
 キャンセル待ちを見ると、さっきよりもさらに列が長くなっている。慌ててTamm氏と共に列の最後尾に並んだ。ざっと見て120人目くらいだろうか。予約の紙に名前を書き、それを握りしめて順番を待つ。Tamm氏がホテルで待つlamuo男爵に電話して事情を説明し、お金を持ってくるように頼んだ。
 自分たちの順番が来るまで30分はかかるだろうとタカをくくっていたのに、順番はどんどんと進み、わずか10分あまりであと30人くらいというところまで来てしまった。会長もTamm氏も朝食後着の身着のままで出てきているので、お金は1銭も持っていない。焦ったTamm氏が大慌てでlamuo男爵に電話する。
「早く、早く来てください。もう私たちの順番が来ちゃう………」
 ここで順番を抜かされていったら、絶対に今日の船には乗れないだろう。Tamm氏の額に汗がにじみ出てくる。
 その間にも嘘のように人がはけていく。どうもおかしい。みんなそんなに早くチケットを買っているんだろうか……。
 あと7〜8人というところで窓口をよく見たら、何のことはない。予約の紙を集めているだけで、乗船できるかどうかは9時頃に発表するということだった。いつも冷静なTamm氏の慌てぶりがおかしくて、おもわず笑ってしまった。Tamm氏も照れ笑いを浮かべている。
 予約の紙を提出し、人いきれのする待合所を出て外のベンチに腰掛けてホッと一息。
 会長が小用を済ませてベンチに戻ると財布を握りしめ、息を切らせたlamuo男爵がTamm氏から事情を聞いていた。よほど慌てて来てくれたのだろう。
 午前9時。発表を聞きにTamm氏が待合所に入っていった。
「やった〜〜〜〜〜!」という大声にそちらの方を見ると、渡嘉敷行きのフェリーのキャンセル待ちをしていた若者たちが喜びあっている。キャンセル待ちが取れたようで、あっちでもこっちでも喜びに湧く人たちが増えてきた。羨ましい。はたして我々は無事にフェリーに乗れるのだろうか……。

 ほどなくしてTamm氏が神妙な顔で戻ってきた。
「大丈夫です。キャンセル待ち取れました。」
いつもの冷静なTamm氏にもどっていた。
「やった〜〜〜〜〜!」
今度は僕たちが喜びを爆発させた。なんだかんだあったけど、一応予定通り離島には渡れる。みんなの頭の中に再び「日頃の行い……」という言葉が浮かび、3人で喜びの握手をしまくる。
 ヤマトからも連絡があり、キャンプ道具は我々の乗るフェリーに一緒に積まれているということも分かった。これで予定通り無人島キャンプもできる。なんだかんだあっても、一応計画通りにことが進んでいる自分たちの強運を神に感謝した。
 意気揚々とチケットを買い、ホテルに戻ってクーラーボックスに食料を入れ、チェックアウトを済ませると、ようやくおじさん達4人は離島行きの船に乗り込んだのであった。
 

「フェリー座間味」は午前10時発予定。我々は9時40分頃乗船したのだが、乗船して驚いた。船内は人と荷物で足の踏み場もない。定員190名と書いてあるが、その倍近くは乗っているんじゃないだろうか。船内ですごすことを諦めた我々は、濡れては困る荷物だけを船内に残し、反対側の甲板に場所を確保した。
 午前10時。先に渡嘉敷行きのフェリーが港を出港していった。4日ぶりに出る船。デッキに出ている人はみんな嬉しそうにこちらの船に向かって手を振っている。こちらもお返しに大きく手を振る。なにげないこんな交流が心から嬉しい。船旅のだいご味の一つではないだろうか。
 突然lamuo男爵が「美佐子ちゃんがいた」と叫んだ。「美佐子ちゃんて誰?」と聞くと、甲板に座っているlamuo男爵の目の前を、女優の○中美佐子が通って行ったというのだ。すると隣のアベックの男の方が「本当ですか?」と声をかけてきた。見ると歳は25〜6くらい。ひょろりと痩せた頼りない身体つき。耳が隠れるくらいの髪をカチューシャで止め、香港のカンフー映画に出てくる、すぐにやられるチンピラのような気の弱そうな顔。彼女の方が○中美佐子を見たというのを信用していなかったようだ。
 このアベックとはこのあと会話もないままに別れたのだが、のちに思いもよらぬところで再会しようとは………。これも運命であろうか。
 
 20分遅れで我が「フェリー座間味」も慶良間諸島に向けて出港した。
 外海に出たとたん船は揺れに揺れる。波の高さが4mということは、落差は8m。波しぶきがバンバンかかり、全身びしょぬれである。やけくそで波しぶきをバックに一人ひとり記念撮影を撮った。船酔い者が続出なのだろう。船員が酔った人のためのビニール袋を持って船内を走り回っている。
 そんななか、女優の○中美佐子が甲板に出てきて、マネージャーらしき人と我々の目の前ではしゃいでいた。先程のアベックはと見ると、まるで忍者のように壁にぴったりと張り付いて、二人で一つのカッパを目の前に拡げてしぶきをよけるのに必死で、まるで気づく様子もなかった。
 大揺れの船も渡嘉敷島の影に入るとだんだん揺れも収まり、我々の第一の目的地、阿嘉島に着くころには雲のすき間から太陽も顔を出し始めた。海を愛する強運のおじさん4人は船酔いすることもなく、無事に阿嘉島に上陸したのだった。

 港を見ると、4日ぶりの船を待ちわびた島の人たちが嬉しそうに並んでいた。民宿の人たちは手に手に自分の民宿の名前を書いた紙やボードを持って、降りてくる人たちに呼びかけている。
 会長とlamuo男爵が先に船を降りて予約した民宿を探した。が、それらしきボードを持っている人がいない。仕方がないので最高顧問とTamm氏が降りてくるのを待つ。
 フッと気がつくと船から降りた最高顧問がこちらを手招きしていた。いつのまにか民宿の人を発見したらしい。民宿の中学生の娘さんが、段ボールに名前を書いたボードを下に向けていたので分からなかったのだった。
 民宿のおやじさんが「さぁ、これに乗って」と指さしたのは軽トラック。
「荷台に乗っちゃってもいいんですか?」と聞くと当たり前という感じでうなずく。
 それならばと持っていた荷物を乗せ、助手席には子犬が乗っていたので、我々はしがみつくように荷台に乗って民宿に向かった。
 おやじさんは我々を振り落とさないように時速20kmくらいでゆっくり走ってくれる。沖縄独特の、塀が高くて屋根が低い民家の間をとことこと進んでいく。まだお昼頃だというのに、道端の休憩所みたいなところで昼寝をしているお爺がいたりして、実にのどかでゆったりした気分になってくる。
 港を出てすぐに住宅街の中にある民宿に到着。ところがこの民宿の建物がすごかった。ラベンダー色の二階屋で、まるで清里のペンションかと思わせる外観。白い外塀一面には落書きのようなペイント(あとで聞いたら、このペイントは全部民宿のおかみさんが描いたものだった)。
 あまりにもまわりの民家との景観を無視したようなその建物に、呆然と見上げている我々を則して、おやじさんが中に招き入れてくれた。軽トラの荷物を持って庭のテラスで一服。
 我々の計画では今日明日とこの民宿のお爺の渡しで無人島キャンプ。明後日この民宿に帰ってきて一泊し、東京へ帰る予定を立てていた。そこで民宿のおやじさんに「今日は無人島に渡してもらえますかね?」と聞くと
「こんな波じゃ今日は無理だァ」と即答。ということは、今日はこの阿嘉島のどこかでキャンプをするしかない。
 そこで、計画をずらして今日民宿に泊まり、明日から無人島キャンプにしようかと話し合った。天気は回復しているので、明日なら波も治まって渡してもらえる可能性が大きい。
 そんなことを話しているときに、突然おやじさんがにやっと笑いながら会長の股間を指さした。
「開いてるよ」
 見ると会長のズボンのチャックがぱっくりと開いている。顔を赤くして慌ててチャックを閉める会長。どうやら朝から前回バリバリでこの島まで来たみたいだ。ボケの始まりか……。
 思えば船に乗り込むときの記念撮影から、目の前で田○美佐子がはしゃいでいるのをみていたときも、ましてやデッキの階段で波しぶきをよけているミニスカートの女の子のまわりをウロウロしていた時もずーっとチャックは開いていたのか……。
「ちょっと自慢したかったんですよぅ」などと軽口はたたいてみたものの、穴があったら入りたい会長であった。
 
 部屋は空いているかとおかみさんに聞くと、今日は満室の予定だったが、フェリーに乗れなかった人たちがいてキャンセルが出たので泊まれる、との返事。それじゃそういう予定でとみんなの意見がまとまりかけたとき、最高顧問が
「そうだ!ジンギス肉がダメになっちゃうんじゃないの?」と思い出したように叫んだ。
 その一言が決め手となり、阿嘉島島内でのキャンプが決定。
 
 気がつけばみんなのお腹がグーグーとなっている。とりあえず腹ごしらえをしようということでおかみさんに「何か食べるところはありますか?」と聞くと港に戻った方に食堂があるという返事。
「でも、3日船が来てないから食べるものがなくて店を閉めてるかもしれないよォ」と脅かすようなことを言う。
 ところがさすがは食いしん坊の会長のこと。民宿へ来る道すがら、その店が営業しているのをしっかり確認していたのだった。
「道はわかる?」というおかみさんに「大丈夫です」と答えて、会長を先頭に食堂へ歩いていった。

阿嘉島の風景 この島は民家と民家の間の道がやけに狭い。人一人すれ違うのがやっとというような狭さ。これが沖縄独特の道なのだろうか。もちろん車などは通れるわけもない。(車の通れる舗装路も当然あるけど、民家の密集地はこんな道が多かった)地面は舗装されていない白いサンゴの砂。歩くのが楽しい。常日頃車を意識しながら歩いているので、こんな道をのんびりと歩いていると、しみじみとしてくる。裸足で歩くとしみじみ指数はさらに高まる。通りの角々全てに「石敢當」と書いた石のはめ込みが付いている。意味はわからないがどうやら厄除けのようだ。信心深い島である。
辻ゞにある「石敢當」 食堂は会長のいうようにちゃんと営業していて、我々はみんなそこで「そーきそば」を注文した。それと生ビール。痛風が心配な会長だけ白玉ぜんざい。
 無事に阿嘉島に到着したことを祝って乾杯。そーきそばは『てだこ』に比べれば味は落ちるもののそれなりに美味しい。もちろん紅ショウガとコーレーグース(島とうがらし)を入れるとさらに美味しくなった。会長の頼んだ白玉ぜんざいはあずきのかき氷に白玉が入ったものであった。ぜんざいの豆があずきではなく、もっとでかい豆(普通のあずきの1.5倍くらい)だったのでびっくりした。
 お腹もいっぱいになり、またも細い道をしみじみ歩いて宿に帰りキャンプ道具が届くまで待つことにした。が、荷物がいつ来るのかわからない。おやじさんと一緒に港に来ていたおかみさんの話によると4日ぶりの船だから荷物も多く、70個くらいあったから時間がかかるかもしれないという。
 一刻も早くキャンプがしたい我々は、どうせ同じ船で荷物が届いているんだからと、配達されるのを待たずに港に取りに行くことにした。親切にもおやじさんが一緒に軽トラで取りに行ってくれるという。さらにおやじさんは「もうすぐ車検の切れる車があるから、あれをキャンプに持っていくといいよォ。マフラー壊れてるからうるさいけど」といってくれるではないか。都会には無くなった親切や人情というものがこの島ではまだまだ当り前のように息づいている。車を貸してくれることよりもおやじさんのその気持ちが嬉しい。
「いいよな、かあちゃん」
という声に大きくうなずいたおかみさんは、すかさず
「1000円でいいよ」
しっかり者のおかみさんであった。(だからこんな立派な民宿が建ったんだろうな)
 最高顧問とTamm氏、そしておやじさんの3人で港へ荷物を取りに行った。
 ほどなく荷物を満載して軽トラが帰ってきた。途中でビール、泡盛、氷も調達してきてくれた。そして、持ってきた荷物の中でひときわ小さいが燦然と輝く段ボール箱が……。
 おぅ! 見慣れたあの箱は……、なみかたのおやじさんが送ってくれたジンギス肉の箱であった。さっそく開けてみる。
 今回注文したのは
●生マトンもも500g(厚さ5ミリ)
●生ラムショルダー500g(厚さ5ミリ)
●フレッシュラムチョップステーキ用。それにおまけのたたき用ステーキ肉プロック。どれも腐らずにちゃんと届いてくれていた。大切にクーラーボックスにしまう。
 おやじさんにこの島でキャンプできそうな浜はと聞くと。地図を持ってきて色々検討してくれた。クシバルやヒズシなどの南の浜は台風の影響で波が高くて水も濁っている。島の影になって波も穏やかな北浜(ニシバマ)ビーチがいいんじゃないか、とのこと。 そこにはキャンプ場もあって、水もトイレもあるらしい。
 とりあえずそこにしますか……。ということで、沖縄キャンプは無人島は残念ながらあきらめて、ニシバマビーチで行うことにした。
 
 おやじさんに北浜と書いてニシバマと読むのかと聞くと、そうだという。ところが、道路標識には「西浜」と書いてある。
 どうもこの沖縄にはテーゲー(訳:だいたい)思想があるらしくて、いいかげんな事が多い。先日もTシャツを作るにあたって、我々の上陸予定の無人島の名前が地図によって「ム○○ク」と「モ○○ク」の二つの表示があるので、座間味村観光課に電話で問い合わせたところ、帰ってきた言葉が
「どちらでもいいです」
 実にのどかである。

軽トラで島内を移動 軽トラックに荷物を積み、助手席には最高顧問とおやじさんの愛犬。荷台にTamm氏。マフラーの壊れた軽自動車(長いので以後この車は「マフ軽」と呼ぶ)はlamuo男爵の運転で会長がその横に。2台に荷物を分乗してのんびりとニシバマに向かった。人里を離れ、アダンの咲く道を時速20km程で走っていく。
 このアダン、葉は肉の薄いアロエみたいで葉の両側にトゲトゲがついている。(最初みたときはてっきりアロエだとばかり思った)
 実は直系15センチほどの緑色で、パイナップルのような模様がついている。熟すとオレンジ色になりじつに美味しそうだ。海岸近くにはどこにでも生えているので、食料に困ったときにはよさそうだ……と思ったのだが、民宿のおかみさんに聞くととてもじゃないけど食べられない、という返事。こんなにいたる所に生えているのに、ん〜〜〜〜っもったいない。
 途中島の説明でも受けているのだろうか、前を走る軽トラの窓からおやじさんの腕が伸びて、あちこち指さしている。
 空は青空が拡がりはじめ、太陽も出て天気はぐんぐん良くなっている。我々の気分もウキウキしてくる。
 ほどなくキャンプ場に到着した。すでに先客が3組ほどテントを張っている。天気は良くなってきているものの、ときおりまだ突風が吹き、先客のテントやタープがその度に飛ばされていく。
 キャンプ場はビーチから10mほど上がった小高い崖の上にあり、水場とトイレも完備されている。
「どこにテントを張ってもいいよゥ。道の端に落ちてる小枝を拾って薪にするといいよゥ。どんどん使っちゃっていいんだよゥ」とおじさんが教えてくれる。
 しかし、我々は無人島にキャンプに来たのである。せめて海岸にテントを張って雰囲気だけでも味わいたい。
 そこでおやじさんに「下の海岸でテントは張れないんですか?」と聞くと「ビーチの監視員に怒られるかもしれないよゥ」という返事。
「ここは犬の散歩コースで毎日2回は来るから、様子を見にきてあげるよゥ。」
という親切な言葉を残して、おやじさんは愛犬と軽トラで帰っていった。
(しかしそれからの二日間、我々はおやじさんも、ましてや犬の影さえも見ることはなかった)

 さて、どうしようか。ここでキャンプをするのか、もうちょっと他を捜してみるか。
 最高顧問がどうしても海岸でキャンプをしたい、ということで、もっといい場所が無いかlamuo男爵とマフ軽で探しに行くことにした。
 会長とTamm氏はここで待機。
 待つこと1時間余り。ボボボボというすさまじい音を響かせてマフ軽が帰ってきた。
 二人はよさそうなビーチを求めて島の西のクシバルビーチ、南のヒズシビーチから隣の慶留間島、さらにその先の外地島まで足を伸ばして調べてみたらしい。しかし、良さそうなビーチは見つからなかったとのこと。
 キャンプ場から100メートル程戻ったところに、ニシバマビーチに降りられる小道があったというので行ってみると、出たところがニシバマの最南端。遠くに監視所が見えるが幸いここには人影がない。波も穏やかだ。結局ここにテントを設営することにした。
 我々のタープは蛍光緑っぽい色で遠くからでもよく目立つ。ビーチでキャンプをすると監視員に怒られる、というおやじさんの言葉が耳に残っていたので、監視所の方から人が近づいて来るたびにビクビクしていたが、こんなにビクビクしていたのでは楽しめないので開き直ることにした。(けっきょく監視員の人にあまり沖で泳がないようにという注意は受けたが、キャンプのおとがめはなかった)
 さっそくシュノーケリングで海に潜る。
 沖縄の慶良間諸島は世界有数のサンゴ礁の美しい地域である。きれいなサンゴとその間を泳ぎまわるきれいな魚達を想像していたのだが、海の中は真っ白く死んだサンゴが累々と横たわり、魚もほとんどいない。
 おととしの白化現象でサンゴ礁は壊滅的な打撃を受け、復旧もままならぬ状態のようだ。
 lamuo男爵は「フエフキダイを取ってくる」と一本モリを持って海の中に入っていった。どうやら前回、フエフキダイにバカにされて取れなかったので、今回は「雪辱戦だ!」と鼻息も荒い。
 Tamm氏はきれいなサンゴを求めて40メートルくらい沖の方まで泳いでいった。最高顧問もサンゴを求めて姿が見えない。
ニシ浜から海を望む サンゴと熱帯魚をすぐにあきらめた会長は、椅子に腰掛け海を眺めてボーッとしている。対岸は去年lamuo男爵がキャンプした無人島。その先には座間味島が見える。天気も良くなり太陽の日差しが強くなってきた。足下はサンゴでできた白い砂浜。吹く風も心地よく、このままずーっとこうしていたいという脳みそが溶けるような快感に誘われる。
 しばらくするとみんなが帰ってきた。lamuo男爵はボーズ。
「だめだ! ぜんぜんいない!!」と悔しそう。明日に期待することにした。
 サンゴもほとんど白化現象で死滅していて、ここでの海遊びはあまり期待できないということが分かった。
 そこで、ここのキャンプは早めに切り上げて、無人島へ日帰りででも行こうということになった。次の日に民宿のおやじさんに頼んでみることにして、とりあえず夕食の用意。
さっそく沖縄ジンギス 本日のメニューは待望のジンギスカンにヒラヤーチーという沖縄風お好み焼き。これにlamuo男爵の取れたての刺し身が付く予定だったのだが、それはまた明日に期待。
 七輪に火を起こし、この日のために用意した穴開きのジンギス鍋を火にかけて楽しい宴の始まりである。全員でお揃いのオリジナルエプロンを着用し、「東ジン無人島へ行く」の気分が盛り上がる。唯一無人島行きが頓挫したのが心残りだ。
 日も暮れ、食事の用意もできてきたころ、何気なく足下を見ると、薮の方から集まってきたのかゲジゲジがいっぱい這い回っていた。
 このゲジゲジ、人をさすような種類じゃなかったので良かったのだが、体長4センチくらいのゲジゲジが数十匹も足下を這い回っている図は、どうも気持ちのいいものではない。lamuo男爵は穴を掘ってはせっせとゲジゲジを埋めていた。(そんなことしても、いくらでも湧いてくるから徒労なんだけどね)
 
(※食事風景は“ジンギスの宴編”を読んでください。)
 
 食事中に台風情報を聞くために持ってきた携帯ラジオで、オリンピックを聞く。ちょうど田村亮子の柔道の決勝戦が始まったところだ。
 あっという間の一本勝ちで見事に金メダルを獲得した。おめでとう田村亮子。
 我々はやったやった祝杯だと、お酒を空けていく。買ってきた泡盛もあっという間に空になった。明日また買ってこよう。(こういうところは無人島じゃないから便利だね)
 最高顧問がウォークマンにスピーカーを繋げてネーネーズのテープを流す。それに合わせて会長とlamuo男爵が朗々と歌う。どんなに大声で歌っても、聞いているのは月と足下のゲジゲジだけ。
闇に浮かぶテントサイト テープがネーネーズから「ナヴィの恋」(今年ブレークした沖縄映画。沖縄では10人に1人が見た計算になるほどヒットした)のサントラに変わると、ますます沖縄の雰囲気が盛り上がる。
 そのうちに波打ち際にまで椅子を持ちだし、そこに腰掛けて夜の海を眺めながら知っているかぎりの島唄を歌う。見上げれば空には本が読めそうなほどに明るいお月さまが輝き、海面に月の道を光らせる。
 今日一日の疲れがどっと出たのか、我々の唄を聴きながら最高顧問とTamm氏はうつらうつら。酒はすすみ夜は更ける。宴は夜中まで延々と続いていくのであった。

――――――第三章―――――――

 朝、寒さで目が覚めた。
 時計を見ると明け方の4時半。辺りは薄明るい。
 ふと見ると、lamuo男爵が寝袋にくるまって寝ている。
 会長は昨夜は酔った勢いでタープの下、簡易ベッドで短パン・Tシャツで寝てしまっていたのだった。最高顧問とTamm氏はテントで寝ている。
 沖縄に出発する前に、すでに2回無人島キャンプを経験しているlamuo男爵が、沖縄とはいえ朝晩はけっこう冷え込むから暖かい格好を用意してこい、と言っていたのを思い出した。
 ところがなるべく荷物を少なくしたい会長は、短パンとTシャツしか用意して来てなかったのだ。そういえば寝る間際にもTamm氏は寒い寒いと震えながらテントに入っていったっけ。
 信州育ちの上に脂肪という肉蒲団を着ているので寒さに強い会長は、夜中にみんなが寒くなってきた、と言っているときも1人だけ平気だったのだが、さすがに明け方は寒い。
ニシ浜に昇る朝日 辺りを見回しても寒さを凌ぐものは何もない。しかたがないのでエプロンをかけ、腕をそのエプロンの中に潜り込ませると、これが以外と暖かかった。朝焼けのあまりの見事さにカメラを探しだして写真に収め、この格好でまた眠りについた。
 まわりのざわつきに再び目を覚ました。時計を見ると午前9時。
 目を覚ました会長に
「よくそんな格好で寝られたなぁ。信じられん」
と感心したように言いながらlamuo男爵が隣で朝食の準備をしている。
 今朝のメニューはポーク卵にみそ汁。鍋でご飯を炊く。ポーク卵というのは、ランチョンミートの缶詰めに卵料理を合わせた、沖縄の一般的な家庭料理。卵料理は目玉焼きでもスクランブル・エッグでもなんでもいいらしい。
 ランチョンミートをザクザクと切り、フライパンで炒め、今回は目玉焼きを添える。いって見ればハムエッグのハムがランチョンミートになったと考えてもらえばいい簡単料理だ。
「料理ができたぞ〜〜」の声にみんな三々五々集まってきて朝食。
 美味い!
 鍋で炊いたご飯は適度におこげのところもあり、みんなそのおこげを争うようにお皿によそう。
 ポーク卵はランチョンミートがかなりしょっぱいので、醤油とかをかけなくても卵焼きの淡泊さとよくあって、ご飯が何杯も食べられそう。かけるならマヨネーズがよく合う。
 このランチョンミート、東京のスーパーではなかなか売っていないが、沖縄のスーパーならどこにでもある代物。これもアメリカが持ってきた文化だろうか。たとえ占領下にあってもなんでも取り込んで自分の文化にしてしまう。そんな沖縄のたくましさが垣間見えるような気がした。
 
 そういえば昨日水を汲みに行った会長は不思議な猫に出くわしたのを思いだした。
 ニシバマのキャンプ場の水場に行ったときのこと。道はキャンプ場のすぐ先で行き止まり。人里から離れているので当然まわりに民家などはない。そんな島のはずれに位置するような場所で、シャム猫とすれ違ったのだ。
 こんなところになぜシャム猫が……? と不思議に思ってすれ違ったのだが、水を汲んだ帰り道、さっきのシャム猫が道の真ん中でじっとこちらを見てたたずんでいる。
 5メートルくらいまで近づくと、トコトコと足早に先を歩いていく。そして15メートルくらい離れると、立ち止まってこちらを振り返る。また5メートルくらいに近づくと足早に歩いていって立ち止まり、会長を待つように振り返って待っている。
 そんなことを何回か繰り返す。まるでこちらをどこかに誘導しようとしているようだ。このままついていってみようかと思ったのだが、水は重いし曲がり角に来てしまった。
 しかたなくキャンプ地の方に曲がってその不思議なシャム猫と別れたのだが、そのままついていったら何処に案内されたのかと、今でも残念でならない。
 阿嘉島の七不思議の一つかもしれない。(残りの六つは知らないけど)
 
 食事も終わりlamuo男爵はモリをかついで魚獲りに。最高顧問とTamm氏もきれいなサンゴを求めて海に入っていった。
 会長もちょっと泳いでみたが、相変わらず海の中はサンゴの死骸だらけで面白くない。すぐに上がって日なたぼっこ。
 ほどなくlamuo男爵も上がってきて「やめた!」といってモリをほうり投げてしまった。どうやら魚獲りは今年も挫折したらしい。
 一本モリというのは方向も定まりにくく、三つ股のモリよりも難しいらしい。
 せっかく買ったモリもわずか数十分海に潜っただけで、魚を1匹も刺すことなくその役目を終わってしまった。こんなことなら意地を張らずに三つ股のモリを買っていれば……。もったいない。
(lamuo男爵の話によるとフエフキダイがいないのであきらめた。フエフキダイ以外は俺は獲らない! ということらしい)
 
 しばらく二人で海を見ながらボーッとしている。気がつくと時間はお昼前。lamuo男爵はおもむろに昼食の準備にとりかかった。
 お昼のメニューはキーマカレー。玉葱とひき肉を炒め、手際よく作っていく。一人暮らしの長いlamuo男爵の料理の手際の良さとアイデアにはいつも感心させられる。(アイデアが溢れすぎて、ときどきとんでもない料理ができることもあるが)
 朝の残りの冷やご飯に熱々のカレーがなんとも美味しい。
(カレーは二日目が美味しいとはよく言われるけれど、冷やご飯に二日目の熱々のカレーはもっと美味しいと思いませんか。猫舌のせいだろうか、会長は大好きです)
 
 昼食を食べ終わるとlamuo男爵と最高顧問はマフ軽に乗って、民宿のおやじさんのところへ明日の無人島渡しを頼みに行った。
 残った2人は日なたぼっこ&無駄話。とにかくゆっくりした時間が流れていく。お腹も一杯になってウトウトと眠くなる。タープの下、簡易ベッドに横になってお昼寝。吹く風が心地良い。
 お腹が空けばご飯を食べ、一杯になったら日陰で昼寝。夜は泡盛を飲み高歌放吟。お金はかからないが最高の贅沢。まさに極楽である。
 
 最高顧問とlamuo男爵がビールや泡盛を持って帰ってきた。
 明日の渡しはおやじさんはダイバーを連れていくのでダメだが、おじいは大丈夫。明朝9時に来るようにということらしい。
 無人島でジンギスカンという計画は挫折したが、日帰りとはいえなんとか無人島に行かれる。海だってここよりはサンゴが多く魚もいっぱいいるだろう。我々の心は踊りに踊った。天気予報では明日もあさっても晴れ。じつに楽しみだ。
 
 lamuo男爵がキャンプ最後の夕飯作りにとりかかる。メニューは沖縄らしくゴーヤーチャンプルー(苦瓜の炒め物)、ナーベラーブニー(ヘチマの味噌煮)それにホワイトシチュー。(この辺がいかにも沖縄のチャンプルー文化風だ。我々も沖縄になじんできた)
「石敢當」  ゴーヤーは沖縄特産の野菜。沖縄では八百屋の店頭に溢れかえり、値段も安いと思ったのだが、以外にも東京で売っている値段とそんなに変わりがなかった。(台風のあとで品不足だったせいかもしれないけど)
 チャンプルーにはライブハウス『島唄』に習ってランチョンミートを入れようと思ったのだが、朝ポーク卵が美味しくて全部使ってしまっていたので、しかたなく玉葱、卵などで我慢する。
 ナーベラーブニーはヘチマの入った赤みそを使ったみそ汁という感じだったけど、ヘチマがある程度汁を吸うので、ヘチマを噛むとなかからジュワ〜ッと汁があふれ出てきてこれがなんとも美味しかった。淡泊なヘチマと自己主張の激しい赤みそが、うまくマッチしてじつに味わい深い。ヘチマは初めて食べるけれど、けっこう美味しい。
 買い足してきたビールや泡盛が次々と空いていく。鯖の開きを網でチキチキと焼き、それをつまみに酒をのみ無駄話に花が咲く。明日の無人島への期待、サンゴはどうだろう。魚はいるんだろうかと、よくもこんなにというほど次から次と無駄な話が流れていく。実になる話は一つもない。(でも、それが良いんだなぁ)
 そんな話の中、lamuo男爵が
「やっぱり民宿のおやじさんは面白いよ」
と話しはじめた。その話を要約するとこうである。
 昼間、明日の無人島渡しの交渉に民宿へ行ったlamuo男爵と最高顧問。おじいのところへ交渉に向かった最高顧問に続こうと思って庭を横切りかけたlamuo男爵に、庭のはじっこにしゃがみ込んでいたおやじさんが手招きをした。
「ちょっとこれ」とおやじさん。 
「なんですか?」とlamuo男爵。
「アリだよ、アリ」
「え?」
「見てごらんよ、アリがいっぱいだよ。これが家に入ると面倒だよ」
見るとコンクリートを打った庭のそこここに小さなアリが我が物顔で歩いている。
「本当にすごいですね」とlamuo男爵。
「燃やそう」
というやおやじさんは、おもむろにバーナーを手に持って庭のアリに火炎を噴射し始めた。庭のスミに生えたヤシの木にもアリがはい回っていると見るや、迷わず火炎を噴射したのである。
 あっけにとられるlamuo男爵。
 ゴーッという音とともにヤシの木に群がっていたアリがポロポロと落ちていく。
「おまえ枯れちゃうかも知れないけどアリ殺そうな」
とヤシの木に語りかけつつおやじさんは一心不乱にアリを焼き殺していったという。
 その一途な姿に笑いをかみ殺すlamuo男爵。
 一度じっくりと酒でも飲みながら語りあいたい、愛すべきおやじさんである。
 
 飲むほどに酔い、酔うほどに語り、話は尽きることが無い。空には今日も明るい月が輝いている。
 泡盛の心地いい酔いに再び会長とlamuo男爵の唄も出はじめ、キャンプ二日目の夜は更けていくのであった。

――――――第四章―――――――

 目が覚めるとテントの中だった。時計を見ると午前7時。
 そうだ。昨日はTamm氏が、せっかくの沖縄キャンプだから外で寝たいというので、簡易ベッドを譲ってテントの中で寝たのだった。
 ひときわ寒さに弱く、昨夜も「寒い寒い」を連発していたTamm氏。いったい朝方の寒さをどう凌いだのかと外に出ると、ズボンを二重にはき、トレーナーなどをいっぱい着込んでベッドでまだ寝ていた。まるで砂漠のベドウィン族みたいに、タオルをターバンのようにして顔にぐるぐる巻きにしている。
 異様な格好で寝ているTamm氏の側で火を起こし朝食の準備。
 ほどなくTamm氏が目を覚ました。起きるなり開口一番「昨夜は寒かったスねぇ。特に顔が寒くて……。会長はよくTシャツ、短パンで寝られましたね」と感心することしきり。
「そりゃ、信州育ちだからね」と会長は得意満面であった。(別に偉いわけじゃない。体脂肪が多いだけ)
 今朝のメニューはソーミンチャンプルー。
 ところが、キャンプもこれが最後と昨夜残った食料を食べまくり、ソーメン5束とニンニクのみじん切りしか残っていなかった。仕方がないので具なしソーミンチャンプルーで我慢することにした。
「会長、お湯が湧いてるからソーメンを茹でてくれる?」とlamuo男爵。 
「いいよ」と二つ返事でソーメンを鍋の中に投入したのはいいけれど、何も考えていない会長は一度に5束全部鍋に入れてしまった。
 ソーメンは茹でる前は「こんなもので足りるかな」と思うが、茹でてみると倍近い量になる。鍋の中はみるみるソーメンが膨らんで、溢れんばかりになってしまった。
 茹で上がったソーメンをフライパンに移してlamuo男爵がソーミンチャンプルーを作る。しかし、茹で上がったソーメンを半分入れただけでフライパンはいっぱいになってしまう。必死になってほぐしながら炒めるlamuo男爵をあざ笑うかのように、ソーメンはくっつきまくって大きな塊となり、なかなか炒まらない。lamuo男爵の額に汗が浮かぶ。
「会長が一度にこんなに茹でるのが悪いんだ!!」
怒りながらもなんとかフライパン大盛り2杯分のソーメンができあがった。とてもじゃないけど大人4人でもとても食べきれる量ではない。
 しかし、大食漢のTamm氏が美味い美味いと半分くらい食べてくれたおかげで、なんとかそのソーミンチャンプルーを食べきった。
 
ニシ浜ビーチで  あまりの満腹感にみんな一休みしたいところだったが、今日は民宿のおじいの渡しで安室島に行く予定になっている。集合は民宿に朝9時。うかうかしている場合ではない。
 慌ててキャンプを片づける。しかし、沖縄タイム(あまり時間を守らない例え)にすっかり慣れてしまったせいだろうか。キャンプの撤収には慣れているはずの我々も、つい手が止まって海をボーッと眺めてしまう。
会長がまたまた不思議なものを発見!
 それは「水を嫌う魚」。
 海岸の岩でなにかがピンピンと跳ねている。近づいてみるとハゼのような魚が岩に張り付いていた。ところがこの魚、岩に波が打ち寄せると、水を嫌うように波のかからないところまで逃げるのである。
 さらに岩から岩へ移動するときには、泳ぐのではなく水面をぴょんぴょんと跳ねるようにとんでいく。まるで日なたぼっこをしているように岩に張り付いているその魚を10分も見ていただろうか。水中に入って呼吸する様子もない。まことに不思議なハゼの仲間であった。

 気がつけば時計は9時。
「やばい!」もう集合時間だ。
 ところが「なぁに、沖縄タイムだもん。おじいだってまだ船の準備もしてないさ」などとタカをくくって、我々の撤収のペースは遅々としてすすまない。
 9時半もまわったころ、さすがにlamuo男爵が申し訳ないと思ったのか、ある程度まとまった荷物をマフ軽に積んで「遅れるって言ってくる」といって1人民宿に向かった。その間にまとめた荷物を、残った3人が丘の上の道路まで持っていくことにした。
 荷物を持って丘の上にあがり、北浜の海水浴場の方を眺めると、遊泳区域に人が泳いでいるというのに漁船が停泊している。しかもその漁船が大声で何か叫んでいるのがかすかに聞こえる。
「あんなところに漁船を止めて、体験ダイビングでもしてるのかなぁ」と会長。
「あんな人が泳いでいるところに船を止めて、危ないし迷惑ですよ」とダイバーでもあるTamm氏が怒る。
よく見ると漁船のまわりに遊泳者が集まっている。
「なにか叫んでるし、事故でもあったのかな?」と最高顧問。
 もしも事故だったとしても何ごともないように……と3人とも心で手を合わせながら、えっちらおっちら荷物を運び上げた。
 荷物を全部運び終えたころ、マフ軽が帰ってきた。
「謝ってくれた?」と会長が聞くと「いや、民宿には誰もいなかった」とlamuo男爵。
「やっぱり沖縄タイムなんだよ。きっと出港の準備でもしてるんだよ。」とみんなで納得して荷物をマフ軽に積む。
 気がつくと海水浴場の漁船はどこかに行ってしまったらしく、見えなくなっていた。
 荷物を全部乗せると後部座席は荷物でいっぱいになってしまった。Tamm氏を助手席に乗せて、会長と最高顧問は仕方がないので、後ろのバンパーに足をかけ、開きっぱなしのハッチバックドアにしがみついて帰ることにした。
 出発するとすぐに野生の慶良間鹿が目の前に現れた。
マフラーの壊れた軽「鹿だ!」みんなが一斉に叫ぶ。噂の天然記念物、このあたりには出没するとは聞いていたけど、見るのは初めて。感激する4人。
 
 鹿で思い出したがこの島に来る前に、沖縄情報をインターネットで調べていたlamuo男爵が、YAHOOの沖縄掲示板でこんな書き込みを見たという。
 それは「阿嘉島の崖で身動きのとれなくなった山羊を見かけたけれど、あの山羊はどうなったんだろうか?」
 lamuo男爵もとても気になっていたらしく、島に着くとさっそく民宿のおやじさんに聞いたところ、おやじさん曰く
「あぁ、あの山羊。ちょっと前まで崖で立ち往生してたけど、自分のまわりの草を食べ尽して腹減らして崖から落っこちたよ」
「おれも毎日見に行ってたんだけどさぁ……」というので
lamuo男爵が「やっぱり心配で?」と聞くと
「いやぁ、落っこちたら食っちゃおうと思ってさぁ。でも、他のグループに拾われて食われちゃった」と残念そう。山羊はたいへんなご馳走ということだ。
lamuo男爵はそれを聞いて、沖縄掲示板でのいい話題ができたと大喜びしていた。
 
 後ろのドアにしがみついている二人を振り落としてはいけないので、マフ軽はアダンの咲く道を時速10kmくらいでのんびりと走っていく。
 10時頃にようやく民宿に到着。
マフ軽から荷物を降ろして「遅くなりました〜〜」と能天気に入っていくと、民宿のおかみさんが
「あんたたち、待ち合わせは9時じゃなかった? おじいは港へ行ったよ。たぶん頭から湯気出してるよ」
 ありゃりゃ、沖縄タイムじゃないのかな……。
 あわてて安室島に行く道具だけをマフ軽に積み直し、売店で昼食用のパンを買うと排気音を響かせながら脱兎のごとく港に向かった。
 
 おじいの船は「第三太郎丸」。港に着いてその船を探すまでもなく、船の上で仁王立ちのおじいが遠くから見えた。
 車を港の駐車場に停めるとわれわれは慌てておじいのところに行き「遅れて申し訳ありませ〜〜ん」とおじいにお詫び。
 おじいの頭からはおかみさんが言うように煙が出ていた。
「何時だと思ってるの〜。もう10時だよ、10時!!」(怒)
「本当にすみませんでしたぁ」と深々と頭を下げるばかり。
「ニシバマに迎えに行ったんだよ〜!!」(怒)
「へっ??????」
 意外なことを言うおじいにわれわれは?????
どうやらこれが…… 「ちっとも来ないから9時過ぎにニシバマに迎えに行ったけど、あんたたちいなかったよ」
(迎えに……? 船で…………?)
「あっ!!!」会長があることに思い当たった。
海岸から荷物を運んでいるときに見た、あの迷惑なダイビングの船だと思っていたのが……。
 
 おじいが言うにはニシバマの海水浴場で「安室島に行く人〜!」と大きい声で聞いていたら、泳いでいた人たちが海岸で日なたぼっこをしている人たちにも聞きまわってくれたが、結局そんな人は見つからなかったのでまた港に戻ってきたということであった。
 なんという人の好いおじいなんだ。こんな好いおじいを「沖縄タイム」などといって1時間以上も待たせるなんて……。
 われわれは安室島に向かう船の上で、ただただ頭をたれるだけであった。

――――――第五章―――――――

 安室島には阿嘉島から船でわずか10分ちょっと。最高顧問とlamuo男爵はここでキャンプをした経験があるので、懐かしそうに近づく島を眺めている。
 無人島とはいえ、かなり大きな島で日帰りの海水浴客も多く、この日は海岸に2組の先客が日光浴をしていた。
 船が島に接岸する直前、舳先に立っていた最高顧問が何を思ったのかいきなり海に飛び降りた。びっくりしたおじいが慌ててエンジンを切った。
「危ないよ!」とおじいが叫ぶ。
 最高顧問は胸まで海に浸かり、溺れたようにばちゃばちゃと暴れている。肩からぶら下げていたカメラも海水に浸かってしまっていた。
 どうやら遅れたお詫びに船を海岸に引っ張って接岸の手伝いをしようと思ったらしいのだが、浅いと思って飛び込んだものの意外に深く、本人もびっくりして慌てふためいたようだ。
 おじいはもう怒りを通り越してあきれ顔。
 荷物を降ろすと「4時半に迎えに来るから」と言い残して、船をUターンさせて帰っていった。
 
安室の浜で さぁ、ついに念願の無人島に上陸。
 椅子やクーラーボックスを海岸にセッティングして、まずは島の探検をしようということになった。
 lamuo男爵が以前来たときに野生の山羊に出会った場所というところ行って見ようか、などと話していると茂みから男女のカップルが手をつないでこちらの方に歩いてきた。
 なにげなく男性の方を見ると、まるで香港のカンフー映画に出てくる、すぐにやられるチンピラのような気の弱そうな顔。
 あれ? どこかで見たような……。
 lamuo男爵に「あれ? あの人……」と指さすと、lamuo男爵もびっくりした顔でその男性を見ていた。
 何という偶然か、そのカップルというのは、あの「フェリー座間味」で我々の隣に座って「田中美佐子を見た」といっていたアベックではないか。
 「こんにちは」と声をかけるとむこうも挨拶をかえしてきた。が、我々のことが分かったような気配がない。
 「フェリーで一緒でしたよね」とlamuo男爵が話しかけるとようやくむこうも気が付いたらしく、びっくりした顔で我々の方に寄ってきた。
 この青年、「無人島にモバイルだけ持って1カ月間生活してみよう」という企画を雑誌社に売り込んで、実際に自分が体験することになってしまった駆け出しのフリーのライターということだ。
 上陸してから2人でキャンプをしていて、今日彼女だけ先に東京に帰るので、これから船まで見送りに行くという。
 人恋しかったらしく「彼女を送ったらすぐに来ますから待っててください」といって迎えの船が来るという島の東側の方へ歩いていった。
 青年を待つ間、北側の海岸を泳いでみたが白化現象が激しく、サンゴも魚もほとんど見ることができない。
「最初にこの島に来た3年前はこの海岸にはきれいなサンゴと無数の熱帯魚が泳ぎ回っていたのに……。」
 と最高顧問とlamuo男爵はじつに残念そうだ。
 しばらくすると青年が心細そうにとぼとぼと帰ってきた。
 話を聞くとキャンプは初めてとのこと。キャンプを設営しているところを見せてもらった。小さなテントに大量のインスタント食品と水がポリタンクに2つ。あとはパソコンとモバイル用の携帯電話。はたしてこんな装備で大丈夫なんだろうか?
銛を贈呈 それでも週に一回は座間味島に行って役場に顔を出さなくてはいけないと村役場の人に言われているらしいので、水や食料はその時に補充できそうでちょっと安心する。
「インターネット上で毎日日記を書いているのでぜひ読んでください」と名刺を渡された。(東京に帰ってそのHPを見ていたが、なんとか無事に1カ月のキャンプを成功させたようだ。
http://www2.justnet.ne.jp/~keita-rou/homepage/island01.html)
 装備貧弱の青年にlamuo男爵が銛を贈呈し、青年と別れて島の反対側を探検することにした。
 アダンのトゲを避けながら、lamuo男爵の記憶を頼りに道なき道をすすんでいくと、ものの5〜6分で反対側の海岸に着いてしまった。こちら側からはすぐ目の前に阿嘉島が見える。対岸は昨日までキャンプをしていたニシバマだ。
 あの海岸も白化現象でほとんど死の海状態になっていたので、対岸のこちら側も期待薄。せっかく沖縄のそれも世界一美しいサンゴ礁があるといわれているケラマに来ているのに、それが見られないかも……とがっかりする。それでも海に潜ろうと準備していると、いつの間にかlamuo男爵の姿が見えない。
かすかなうなり声が岩の上でするのでそちらの方を見上げると、やや高くなった岩場の上でlamuo男爵が大用をたしていた。
 
 しかしこちら側の海に潜って驚いた。辺り一面枝サンゴが密生していて、写真やテレビで見た色とりどりの熱帯魚が群舞している。5メートルも沖の方へ泳いでいくと、こんどは岩サンゴが密生していて、楽しそうに魚達が泳いでいる。

 あ! あれはハタタテダイ。こっちにはクマノミ。ホンソメワケベラが大きな魚のエラをつついてお掃除をしている!! あそこを泳いでいるツがいの魚は……黒白に黄色の模様がきれいなモンガラカワハギ……。
 夢にまで見た熱帯魚の群れがすぐ目の前で本当に泳いでくれている。これが見たくて沖縄に来たようなものだけに、何時間見ていてもあきない。
 ただただ波間に浮かんで目の前を泳いでいる魚達を見続ける。
 どのくらい見ていただろうか。気がつくと回りには誰もいなくなっていた。みんな海岸に戻っているようだ。
 そういえば沖縄の海とはいえ、身体も冷えてきている。名残惜しい気持ちを胸に海岸へと戻っていった。
 海岸にはいつのまにシーカヤックでこの島に来た人たちが上陸していた。今晩はここでキャンプをするのだろう。カヤックからキャンプ道具を降ろしている。しかし、そこはlamuo男爵が大をした場所からわずか2メートル。まさかそこに大をしたから気を付けろというわけにもいかず、我々は「こんにちは」と挨拶をするとそそくさとその海岸を離れた。

太郎丸 午後4時を回るころ、今度はおじいを待たせて怒らせてはいけないと、荷物をまとめていつでもすぐに乗船できる準備をしておじいの船を待つ。
 4時25分、遠くにおじいの船が見えた。何と時間に正確なおじいなのであろうか。まるで噂に聞いている沖縄の人とは思えない、几帳面なおじいであった。
 船に乗って島を去る我々を、これから1ヶ月間ここで暮らす青年が、いつまでも手を振って別れを惜しんでくれていた。
 そんな青年におじいが突然「その島は出るよぅ!」と叫んで両手を前にだらりと出してお化けのマネをした。一瞬不安そうな顔になりながらもこちらに手を振り続ける青年。
 まったく人を喰った面白いおじぃだ。(このへんは沖縄人らしい)
 
 民宿に帰り新聞を見ると、今日は6時からオリンピックのサッカー日本vs.スロバキア戦がある。これはぜひ観ないと!!
 庭では民宿のおっちゃんが夜釣りの用意をしている。
「何を釣るんですか?」と声をかけるとおっちゃん嬉しそうに
「ハマフエフキダイ。こーんなの釣ってくるから!」といって両手を大きく広げる。
「美味しいんですか?」と聞くと「ものすごく美味しいからよ」と気合いも十分。
 もともとは漁師だったらしく、とにかく釣りが大好きといった雰囲気のおっちゃんであった。
 庭でボーッとしている会長の目の前をおじいが小粋なアロハを着て出かけて行くのが見えた。
 「なんかお洒落ですね」とおっちゃんに聞くと「今日は祭りだからよ」という返事。
 なんでも今日17日は海の神様に感謝を捧げる漁師のお祭り『海神祭』というのがあるという。女性は参加できない男の祭りらしい。褌いっちょうで神輿を担ぐ荒々しい祭りが目に浮かぶ。
 
○ーまん○うす 部屋に戻ってサッカー観戦。ちょうどみんなで「シュート!」「危ない!!」と盛り上がっているところで「ご飯ができました」というおばちゃんの声にしぶしぶロビーに出る。 
 食事は外のテラスで食べるらしいのだが、そこにはテレビがない。そこで民宿のおばちゃんに部屋で食事をしてもいいかと聞いたのだが、ダメ! と冷たくあしらわれてしまった。
 仕方がないのでラジオを持ってテラスで食事。夕飯は台風の影響なのかおかずが少なく、メニューはカジキマグロの刺し身に魚の揚げ煮。(おっちゃんが釣ってきた魚なのかみんな種類が違う)それにゴーヤーチャンプル。
 大食漢のTamm氏が「これじゃ足りない!」とブーブー文句を言う。(本当はこの民宿は阿嘉島でも一二を争う料理の美味しい宿らしく、翌年Tamm氏が再びここを訪れたときには大変満足する食事だったらしい)
 食事もそこそこに部屋に戻ってみんなで再びサッカー観戦。
 我々の応援が功を奏して、2-1の楽勝であった。これでほぼ予選突破。次はブラジルと対戦だ。
 満足して部屋を出るとロビーにいたおばちゃんが「お祭りでも見にいったら?」とすすめてくれた。民宿から歩いて5分くらいの神社でやっているというので、見に行く事にした。
 時刻は8時半すぎ。夕方から始まるといっていた祭りも最高潮の時間だ。男だけのしかも漁師の祭りである。漁師といえば気の荒い男の代名詞といってもいい存在。三弦(さんしん)はかき鳴らされ、酒はすすみ、そろそろ酩酊者も出て、そこかしこで荒くれ男達の喧嘩なんかも始まっている。血を吹いて倒れる者あり、一升瓶が何本もゴロゴロと転がり、延々と茶碗酒をあおる者あり、ひたすらカチャーシーを踊り続ける集団あり、その神社一帯はもう阿鼻叫喚とした雰囲気…………。

 と想像したのだが、どうも雰囲気が違う。目指す神社が近づいて、確かに三弦の音は聞こえてくるのだが、怒号や悲鳴、茶碗の割れる音などはいっこうに聞こえてこない。
 神社とおぼしきところはただの小さな空き地であった。その空き地に青いビニールシートが敷き詰められていて、20人くらいの男達が車座になって座っている。若者は若者グループでかたまり、おじさんはおじさん同士でかたまってこそこそと話している。
 そのまわりを観光客らしき若い女性達が物珍しそうに立って眺めている。
「キジムナーが出た〜〜〜!」
と叫びながら地元の小学生らしい子供たちが空き地のまわりで追い駆けっこをしている。
 空き地の隅に小さな鳥居が立っていて辛うじてここが神社だということが分かる。
 沖縄の神社というのは独特で、広場の隅に鳥居と物置小屋のような小さな祠が建っているだけで、あとはがらんとした広場になっているものらしい。
 離島のせいか縁日も出ていない。祭りらしい雰囲気といえば人が多く集まっていることくらいか……。
 この広場に入るためには必ず祠に手を合せ、鳥居を通らなければいけないとそばにいた地元の女性らしき人が観光客風の人に教えているのが聞こえた。
 そこで我々もさっそく鳥居の下で手を合わせ、広場に入ってみる。
 
 なにか祭りらしいイベントでもあるのかと思いきや、ただ車座になった男達がビールや泡盛を飲みながらおもいおもいに雑談しているだけで、まるで盛り上がらない宴会のようだ。
それでも沖縄に何度も来ているlamuo男爵が「帰るころにはみんなで大カチャーシー大会になって大変だぞぅ」とそっと小声で話しかけてくる。
 しばらく立って見ていると、車座の中から唯一ネクタイをした男性が立ちあがり、我々に「一緒に飲みませんか?」と誘ってくれた。
 こんなイベントが大好きな会長が先頭に立ち、それではと輪の中に入る。他の三人もおずおずと会長のあとに従う。沖縄に詳しいlamuo男爵は、他所者が祭りなんかに参加していいものかと心配顔。みんなに缶ビールが渡され、声をかけてくれたおじさんがまずは挨拶。
 この人はこの島の区長さんで、島の祭りや催しごと一切を仕切っているこの島一番の偉い人だということだった。とても気さくな方で島のこと、この祭りのことなどいろいろと話してくれた。
 我々の後ろに立っていた5人連れの観光客の女の子にも「さぁさぁ一緒に飲みましょう」と誘って一緒に飲みながら楽しい話をしてくれた。
 男だけの祭りの輪に女性が入っていいものかと思ったのだが、この区長さんはそんなことは一向に気にする様子もなく、女性が入ったおかげで話がさらに熱をおびてくる。
 座間味村議会の議長さんという人も我々に挨拶に来てくれて、沖縄や島の歴史などを語ってくれた。
海神祭 しばらく語り合っていると区長さんがやおら立ち上がって輪の中央で三絃に合わせて踊り始めた。
 lamuo男爵の言った通りいよいよ来たかと会長も立ち上がって、見様見まねで一緒に踊りだす。
ところが後が続かない。地元の人たちはまるで踊りだす気配がなく、仕方がないので会長が無理やりlamuo男爵を引っ張り出し、最高顧問の手を引いて一緒に踊ろうとするのだが、2人とも照れてしまってうまくリズムに乗れない。
その後もおじさんグループの1人が立ち上がって踊り始めるが、やはりあとが続かず尻切れトンボの様に終わってしまう。若者で踊る人はいない。
 区長さんに「地元以外の人がこういう祭りに参加するのを良く思わない人もいるんじゃないですか?」と聞くと
「中にはそういう人もいるけれど、100%観光で生きているこの島では、もっと風習自体も解放させていかなければいけない。」
とこの島のことを真剣に考えているようであった。
 なるべく島の自然を壊さないように、道路も無駄な舗装はしないようにしながらこの島を発展させていきたいと熱く語る姿に好感が持てた。
 自分が区長のうちに1年ごとだった任期を2年にしてしまった、と笑って話してくれたが、2年といわず3年も4年も頑張ってほしいものだ。

区長を囲んで 10時を回ったころ、青年会長と呼ばれていた人が「区長さん、そろそろ片づけを……」と我々と話してる区長さんに言ってきた。
どうやらこれで祭りはお開きらしい。ちょっと拍子抜けでもある。
 区長さんを真ん中に女性陣とみんなで記念撮影をし、「ごちそうさまでした」と区長さんにお礼をいって我々はその祭りを後にした。

 帰る道すがら最高顧問が「会長の隣に座っていた女の子かわいかったなぁ。」とつぶやいた。
「どこから来たのか聞いた?」と最高顧問。
「いや、聞いてない。」
「なんで聞かないんだよぅ! せっかく写真も撮ったのに!!」
どうやら最高顧問は祭りよりも女の子が気になってしょうがなかったようだ。
Tamm氏はというと、どこからかかかってくる携帯の応対に忙しく(携帯がかかってくると、慌てたように必ずどこか我々の聞こえないところまで出ていって応対している。こんな夜に仕事の話でもないだろうし、じつに怪しい)女の子にも祭りにもそれほどの興味はなさそうであった。

これが我々の沖縄最後の夜であった。

――――――第六章―――――――

 いよいよ楽しかった沖縄も最終日。
 朝目が覚めると天気は快晴。今日はようやく念願のムカラク島への上陸がかなう日だ。
 本来ならこの島で2日間キャンプを張る予定だったのに、台風のおかげでずいぶんと予定が狂わされてしまった。
 が、「終わりよければ全てよし」という言葉もある。何ごともなく楽しく今日一日が終わりますようにと、朝陽に手を合わせて拝む。
 
 朝食前の朝の散歩から帰ってきたTamm氏がしきりに感心している。民宿の近所を散歩していたら、学校に登校する小学生達がすれ違いざまにみんな見ず知らずのTamm氏に向かって「おはようございます」と挨拶をするというのだ。この阿嘉島という島は礼儀を重んじる教育をしているらしい。
「なんだか朝からとても気分がいい」とTamm氏は嬉しそうであった。
 朝食を済ますとキャンプ道具など東京に送る荷物を荷造りし、いよいよおじいの船でムカラク島へ。
 ムカラク島は阿嘉島、慶留間島、外地島と続く離島の最南端に位置する無人島である。
 椎名誠と怪しい探検隊の無人島キャンプ体験記で有名なサンゴ礁にかこまれた小さな島で、まさに沖縄の美しい海(ちゅらうみ)を満喫できるはずである。
 
 阿嘉島の港を出発して10分ほどでムカラク島が見えてきた。
 気がつけば誰が言うともなく、みんな会長が作った「ムカラク上陸記念Tシャツ」を着て、気合いも十分である。
 
 と思ったが、lamuo男爵だけはセブ島のTシャツを着ていた。
 
 船がムカラク島に到着。
 最高顧問も、今度は先走って途中で船から飛び降りることもなく、無事に荷物も降ろした。
 おじいは「2時半に迎えに来るから」といって帰っていった。 

 念願のムカラク島についに上陸。
 白い砂浜に寝っ転がってみる。
 日差しは強く青い空に白い雲がゆっくりと流れていく。
 聞こえるのは寄せては返す波の音だけ。
 
 動くのは雲か、我か…………。
 
「島内探検をしてみようよ」
 というlamuo男爵の声に我に返り、島を歩き回ってみる。
 歩き回るといっても島に道があるわけでもないので、岩をよじ登り、
満ち潮で分断されたところをジャブジャブと水に浸かりながら歩き回る。
 ガイドブックによると、引き潮のときに隣の外地島から山羊がやってきて島をうろついていることがあるというようなことが書いてあったが、この日は生きものらしい影は何も見つけられなかった。
 
 小さい島だけに30分もウロウロすると島内が一周できてしまう。とりたてて珍しいものもなく、我々は最初の浜にもどった。
 
 lamuo男爵にせかされて無人島での恒例の“裸で浜に寝っ転がる”写真を撮る。
 モデルは最高顧問とlamuo男爵。ふたりとも嬉々として裸になり白い砂浜に寝っ転がる。(2人とも裸になるのが大好きなのであった)
 
 撮影も終わり、いよいよ海に入る。島のまわりは枝サンゴが密集している。
 しかし、残念なことにここも白化現象の影響で死んだ白いサンゴが累々としている。
 しばらく泳ぎまわって辺りを見回すとみんなどこかで泳ぎまわっているのか。そばには誰もいなくなっていた。
 思い切って1人で島のまわりを一周してみようと思いたった。
 しかし気にかかることがひとつ。数日前に宮古島にサメが出て、人が襲われたというニュースが新聞に載っていたのだ。この島も慶良間諸島では一番外海に位置しているだけに、サメが出てもおかしくない。1人で泳いでサメに襲われたら助けてくれる人もなく、はかなく海の藻くずとなってしまう。そうなったら東京に残してきた妻や子は……。
 意外と小心者の会長は島から沖へ約3メートル、水深1メートル弱くらいのところを選んでぐるっとまわり始めた。
 泳げども泳げども死んだサンゴばかりで魚の影さえも見えない。実に期待外れである。
 外海の方に出た。
 さすがに外海は波が強く、ときおり来る大波に岩場に叩きつけられそうになる。海も波の泡で濁ってよく見えない。
 それでも必死になって泳いでいくと、いきなり2mくらい前方から体調30〜40センチはあろうかという魚が十数匹会長めがけて泳いでくる。魚達は会長の横をすり抜けるように泳いでいった。
 会長は焦った。こんな魚達が人間に向かって泳いでくるわけがない。しかもそれは何かに追いかけられて逃げるような必死さが感じられた。
 ということはこの魚達を追いかけているのはもしかしたら…………
 
 サメ………………。
 
 パニックに陥った会長は必死になって島に向かって泳いだ。(島のすぐそばを泳いでいてよかった)
 岩場にしがみついてサメの背びれでも見えやしないかと、あたりを必死になって探し回る。しかし、あたりにそれらしい影は見えなかった。
 恐る恐るまた海に入り、泳ぎ始める。ときおり後ろを振り返りつつ、用心のため今度は水深50センチくらいの所を泳ぐ。
 
 ようやく島内を一周した。所要時間は約30分。死滅した白いサンゴと逃げるように泳いでいった魚以外に出会ったのは数匹の小魚のみ。つまらない。期待していただけに失望感は、フランスW杯で日本代表がジャマイカに負けた時以上に大きい。
 
 浜ではみんなも帰ってきていたので、さっきあった恐怖体験とこの島にはサンゴもなければ魚もいないと説明すると、みんなは何をバカなことを・・・とたしなめられた。
 サメなどはいないし、島から7〜8メートルも沖に行くとそこは素晴らしいサンゴと熱帯魚の世界だというのだ。
 
 とにかくついてこいというので、まずはTamm氏が見つけたポイントに行ってみた。
 島から5メートル程も泳ぐと、突然海は深くなり、岩サンゴがあたり一面に群生し、その岩サンゴの間を色鮮やかな熱帯魚たちが数えきれないほど泳ぎまわっている。
 
 会長もサメの影に怯えてなんかいないで、あと数メートル沖を泳いでいれば・・・。
 あの恐怖の30分はいったい・・・・・。
 
 次に最高顧問とlamuo男爵が見つけたポイントに行ってみる。
 太陽の光がカーテンのように水中を照らし、その光のカーテンの間を色鮮やかな熱帯魚が泳ぎまわる。よくテレビで紹介される美しいサンゴ礁の映像が、そのまま目の前に展開されている。
 サンゴのトンネルをくぐり、すぐ目の前を泳ぐ熱帯魚に見とれて、時間の感覚もなくなっていく。
 
 しばらくそのあたりを泳いでいると、ちょっと離れたところを泳いでいたTamm氏が何やら大きい声で我々を呼んでいる。
 最高顧問と慌ててTamm氏の方に泳いでいくと、Tamm氏はしきりに水中を指さして「見ろ見ろ!」と叫んでいた。
 水中を覗くとなんとそこにはマダラトビエイが4匹(1番大きいもので両翼2メートルくらい)、一列に連なって踊るように泳いでいるではないか。(会長は最初これが噂のマンタか! と感心していたが、あとでTamm氏にマダラトビエイというマンタより二回りほど小さいエイだと教わった)
 我々に自分たちのダンスを見せるように、すぐ目の前を(手を伸ばせば触れそうなほど近くで)クルクルまわったり、上下になったり、楽しそうに泳いでいる。
 5分ほどもそのダンスを我々に見せて、エイはどこかに去っていった。
 われわれは言葉もなくただ「凄かったね!」とエイたちのダンスに感動していた。
 
 が、ふっと気がつくとlamuo男爵だけがいない。あたりを見回したがどこにも見当たらない。
 時計を見ると2時10分をまわっている。おじいが迎えに来てくれるのが2時30分。あのおじいのことだから時間ぴったりに来ることだろう。
 
 我々は慌てて浜に戻った。潮がかなり引いているので泳ぎづらい。しかし、歩けばサンゴをバキバキト踏みつぶしてしまう。腹や腕にひっかきキズを作りながらなんとかおじいの到着前に浜にも着いた。

 浜にはすでにlamuo男爵が帰ってきていた。
 マダラトビエイを見たか? と聞くと見てない! という。lamuo男爵は我々がマダラトビエイに出会う直前にうんこがしたくなって、1人で浜に戻ってきてしまっていたらしい。lamuo男爵らしい、なんともついてない男である。
 
 身支度が終わった2時30分、時間通り遠くの方におじいの船が見えた。
 しかし、あたりはかなりの引き潮でサンゴ礁が邪魔をして船など近づけそうもない。
「どうする、おじい!」
 と船を見ていると、さすがにベテランの漁師だけあって、サンゴとサンゴの間、船1艘がやっと通れるくらいのすき間をウネウネと蛇行しながら、ゆっくりゆっくりと船を島に着けてくれた。
 帰りも同じ道を船底をサンゴに擦ることもなく、見事に引き潮のサンゴ礁の中を進んでいく。まさに職人芸! 思わず拍手する。
 
 浅いサンゴ礁を抜けて一路阿嘉島へ。振り返るとムカラク島が「また来いよ」と語りかけるように小さくなっていく。
 今度は絶対ここでキャンプしようと心に誓った。(翌年、lamuo男爵とTamm氏は本当にここでキャンプをしたのであった)

 途中ウミガメが悠々と泳いでいるのを見つけおじいの方を振り向くと、おじいも「今のを見たか!」という感じで大きくうなずく。
 
 阿嘉島に着き、おじいに礼を言って宿に戻ると慌てて東京に帰る準備。
 帰りの高速船のチケットを先に買っておいたほうがいいよと宿のおばちゃんが言うので、会長がマフ軽を借りて買いに行くことにした。おばちゃんが付いて来てくれるというので、おばちゃんの運転で2人でフェリー乗り場に向かった。
 
 おばちゃんの運転はけっこう粗っぽい。かなりのスピードで細い路地を走る。前方にゆっくり走っている車があると車をウィンウィン言わせながら抜いていく。
「この島の老人は時速20キロくらいでしか走らないのよ」
といって豪快に笑う。
  
 フェリー乗り場に着くと、船を待つ人でごったがえしている。キップ売り場で見たことのある女性を見つけた。
 昨日の祭りで会長の隣に座っていた、最高顧問がかわいいと言っていた女性だ。
「きのうはどうも」と話しかけると、むこうも「あら!」という感じで会釈をしてくれた。
 沖縄が好きで東京から1人で来ていることや、今晩の飛行機で東京に帰ることなど、世間話をしているうちにフェリーが到着してそのまま別れた。
 出港を見送るというのはなぜかちょっと切ない気分にさせる。
 船から手を振る人、船に手を振る人、民宿のバイトが終わって帰る人だろうか、泣きながら民宿の人にお礼を言い、民宿の人は「また手伝いに来て」といいながら涙ぐんでいる光景もある。
 フェリーが岸を離れると、数人の若者が別れを惜しむように船を追いかけながら次々に海へ飛び込んでいった。ちょっと感動する。

 キップ売り場の人は郵便配達も兼ねているのだろうか、フェリーから郵便物が降ろされると、キップを買うために待っている我々にはおかまいなしで郵便物を持ってどこかに行ってしまった。
 待てど暮せど帰ってこない。さすがに沖縄タイムとはいえ、しびれを切らしたおばちゃんがいったん宿に帰ろうと待合所を出ていった。仕方なく会長もあとに続く。

「チケットあとで買えるんですか?」と心配になって聞くとおばちゃんは
「大丈夫、沖縄タイムだから」と慌てた様子は微塵もない。

 宿に帰ると荷造りはすっかり終わっていた。おじいとおっちゃんにお礼の挨拶をしようとしばらく待ったが、帰ってくる様子がない。そこでおばちゃんにお礼を言って宿を出ようとすると、おばちゃんは「私も同じ船で那覇に行くから一緒に行こう」という。
 ところがしばらく待ったのだがおばちゃんがなかなか出てこない。
 会長1人を残して、他の3人は先に港に行って高速船のチケットを買っておくことにした。

 5分経ち、10分経ち、出てこないおばちゃんにしびれを切らして会長が「まだですか〜?」と呼ぶと「今行くから」という返事はあるもののやはり出てこない。
 待つこと20分。「お待ちどう」といってようやくおばちゃんが家の奥から現れた。
 
 その姿を見て会長はビックリ!
 
 今まで髪を無造作にアップにして、いつもエプロン姿の民宿のおばちゃん然としていたのに、出てきたおばちゃんはソバージュ風に髪を下ろし、バッチリ化粧にサングラス。
 服装も原色のTシャツに派手な色合いのリゾート風パレオのスカート。足下は厚底のレインボーカラーのサンダル。手にはルイ・ヴィトンのバッグと、まるで南の島に遊びに来た都会人のよう。見た目に10歳は若返っている。
 あっけにとられる会長に、おばちゃんは「時間がないから車で行こう」といってさっさとマフ軽の助手席に乗り込んだ。
 慌てておばちゃんの後を追うように車に乗り込む会長。

「那覇に用事ですか?」
「ちょっと買い物があってね」 
おばちゃんは那覇市内にも家を持っていて、たまに買い物がてらそこに寄って一泊してくるのだそうだ。
 
 港に着くと「車はその辺に適当に置いておいてね」といっておばちゃんはキップ売り場に走っていく。
「カギはどうしますか?」と叫ぶと
「盗む人なんていないから車につけておいて!」
 たしかにこの離島で車泥棒なんていないだろうが、そんな大らかなこの島がまた好きになった。
 
 最高顧問たちは港の待合所で待っていた。
 lamuo男爵が開口一番「今キップ売り場に行ったのおかみさんだろう? 俺一瞬分からなかったよ」
 他の2人も大きくうなづいている。

 定刻4時30分、高速船『クイーン座間味』は阿嘉島を離れていった。
 港では別れを惜しむように船を追いかけて若者が数人、次々に海へ飛び込んでいく………。
 
 あれ? さっきのフェリーの出港とまったく一緒だ……。
 (あとで知ったがこの海に飛び込むパフォーマンスは慶良間諸島の各島で、フェリーが去っていくときの毎回の恒例のものらしい)
 
 たった3泊4日の短い滞在だったけれど、いろいろなことがありすぎて1週間くらいはいたような気分だ。
 小さくなっていく阿嘉島を見ながら、いつかまたこの島に来ようと心に誓った。

――――――第七章―――――――
 高速船『クィーン座間味』は那覇まで約60分。フェリーよりも30分ほど速い。
 疲れのために船の中でウトウトしているうちにもう那覇の泊港に着いてしまった。飛行機出発まで3時間ほど時間があるので国際通りで買い物をすることにした。港で民宿のおばちゃんと別れ、タクシーで国際通りに向かう。

 タクシー乗り場でたまたま民宿で一緒だった一人旅の女性と出会い、国際通りに行くというので一緒にタクシーに分乗する。
 我々の中で唯一の独身のlamuo男爵に気を使い、Tamm氏と最高顧問と会長で一台に乗り、もう一台はlamuo男爵と彼女という形にする。
 しかし、人見知りのlamuo男爵に浮いた話ができるはずもなく、国際通りにつくとそこで彼女とは別れてしまった。

 さすがに沖縄一の繁華街を誇る国際通りは人でごった返していた。まだ暑い9月の沖縄で、ブーツを履いている女性がいたのにはビックリ。おしゃれに執念を燃やす女性は何処の世界にもいるものだなぁと感心する。
 荷物をコインロッカーに預けようと思ったのだが、ダイビング機材一式が入ったTamm氏のトランクだけがどうしても入らない。仕方がないのでTamm氏はトランクをガラガラと引きずって買い物に行くことにした。 国際通りはあっちもこっちもお土産屋だらけだ。どこに入ったらいいのかわからないので、とりあえず名前の聞いたことがある「わしたショップ」で買い物をする。
 最高顧問は会社関係にもお土産を買うということで大量に買い付けている。時間を持て余した会長は国際通りをぶらぶらと歩いてみた。
 美味しそうな食べ物屋や面白そうなレコード店、怪しい雑貨屋など、時間があったら入ってみたいような店がずらりと並んでいる。時間がないのがもどかしい。次回来たときにはゆっくりとこの通りを歩こうと心に決めた。
「わしたショップ」に戻ると最高顧問もTamm氏も買い物を終えたところだった。大きなお土産の袋を抱えてタクシーで空港に向かう。空港では出発までまだ40分ほど時間があったので、会長は食べ納めと沖縄そばの店でソーキそばを楽しんだ。他の3人はさすがに沖縄の味に飽きたのかレストランで食事をとった。

 7時50分定刻、飛行機は沖縄を離れ、一路東京へ。
 6月決行予定から遅れること3ヶ月。企画から考えると1年近く楽しみにしていた「沖縄無人島キャンプ」は数々のエピソードを巻き起こしつつ、ここに終了した。だんだん小さくなる沖縄の灯を眺めていると感傷的な気分がこみ上げて涙がこぼれそうになる。たった4泊5日の短い旅行だったけれどいろいろなことがありすぎて、思い返すと一週間以上もいたような錯覚におそわれる楽しい旅であった。

 羽田について荷物が出てくるのを待っていると、会長がお祭りで隣り合わせだったあの最高顧問のお気に入りの女性と出会った。同じ飛行機で帰ってきたらしい。荷物が出てくる間、沖縄話で大いに盛り上がる。先に荷物が出てきた彼女と「また沖縄で会えたらいいですね」といって別れた。その直後最高顧問が荷物を手にやってきて「今の女性は?」と聞くのでお祭りで隣り合わせだった娘だと説明する。
「住所は聞いたのか?」
「聞いてないけど、なぜ?」とこたえると
「お祭りで撮った写真を送りたかったのに」と残念そう。
しかしその顔には下心がありありと見え隠れしていた。

 帰りのモノレールの中でlamuo男爵がまじまじと会長の顔を見つめて一言こういった。
「会長、右の鼻の穴に鼻くそがぶら下がってるよ」
慌ててドアのガラスに映る自分の鼻を見ると、確かに鼻くそが鼻毛に引っ掛かってぷらぷらと揺れている。
国際通りを散策しているときもソーキそばを食べているときも、ましてや荷物受取所でお祭りであった女性と話しているときも、この鼻くそはぷらぷらと揺れていたのか・・・・・・。
まさに痛恨の極み! と愕然とする会長。
ゲラゲラと笑う3人。

 最後の最後まで話題を作る4人を乗せて、モノレールはネオンの輝く浜松町に向かっていった。


おわり

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